【批評ギルド】『サンドウィッチ』大覚アキラ
Monk

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『淫猥ナース2〜深夜病棟二十四時〜』をレンタルする上で『風と
共に去りぬ』と『博士の異常な愛情』の間に挟んでそっと差し出す
大和撫子の振る舞いを描いている作品である「サンドウィッチ」に
ついてだが、本当にそういう作品だと思ったら大間違いだ。全然違
うから。この作品でサンドするという校医は、行為はそんな照れ隠
しの所業ではなく、一種の安心感を得るための校医、いや行為。し
つこいな校医。
つまりたとえランチが安っぽいとは言え、我々は何も考えずそれを
受け入れればランチは腹を満たし、平凡なランチこそが幸せ、何も
ないことが幸せなのよと言っておしまいにしてしまえる、きっと温
かい家庭を築いていける。問題はないよ。「問題はないよ」と改め
て言うまでもないくらい問題がないまま通過してしまえばよい。し
かしサラダのドレッシングが精液の色だとか考えてしまうものだか
ら、挙げ句ひび割れた便器のことまでランチタイムに思い浮かべる
はめになってしまい、平穏な生活は脅かされ始めてしまった。ひび
割れた便器というのはイカす想像だ。マイナス方向へきっちり向い
ていてイカす。便器という一つの安心感を求める存在に対して「ひ
び」という安心を脅かす亀裂を表現することで僕たちの安心感は一
瞬にして霧散してしまう。話を戻そう。
この精液ドレッシング発想はわざとだ。わざと嫌な思いをしている
よこの人。人々かもしれない。ひとりで手軽に出来るマゾっ娘プレ
イとも言える。あなたの豊かな想像力一つで穏やかな午後のひとと
きを、カビ臭い施錠された「な、なんだこの器具は!」と叫んでし
まうような地下室物語へと変えてしまうことが出来る。ただしバラ
ンスが重要だ。プラスとマイナスの、普通と違和感のバランスが。
これをうまく保つことを話者は無意識に望んでいるのであり、平凡
な生活の幸せを諸手を挙げて受け入れることは逆に不安なのだった。
うまく書いている。
わざとだ、と書いたがいちいち気にしてバランスを保っているわけ
ではなく、癖というか自然に身に付いた処世術のようなもので俺自
身も同じようなバランスの取り方をするのでよくわかる、共感した!
感動はしない!

嘔吐する、の連が一つの見せ場だ。女子高生から人妻までの一気通
貫ねらいの捨て牌は「意味」としての語呂が良い。言葉の力は普通
だがあえてここは伏線だと踏む。つまりは最後のウサギのぬいぐる
みが素晴らしいということだ。これはすごくいい。乙女の恥じらい
からノスタルジーまで包含する一方で、ぬいぐるみのくせにお肌つ
るつる。というか包含とかどうでもいい。お肌つるつるのウサギの
ぬいぐるみがいいよ、ヘンテコにキマっている。そしてここに至る
までの女子高生〜人妻がヘンテコではないので目立つ。ひとつのテ
クニック。
逆に最後の「食えたもんじゃねえな」はなんか違うと思うが。ここ
だけ他人のふりみたいで「あれ、今までノってたのにいきなり素か
よ」という裏切りじゃないのか。つーことは最初から、終わりで素
に返るつもりだったのか。一行目から直前の行まで全部フリ?ひと
りノリツッコミ?と俺まで素に返って冷静に考えてしまったよ。そ
れは不幸だと思った。


散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】『サンドウィッチ』大覚アキラ Copyright Monk 2005-11-23 23:27:08
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