ただ1滴のポイエーシスを
umineko
ちょっと興味があってポイエーシスということばを調べてみた。ただ漠然と「詩情」みたいなものかな、と思ってたんですけど、ちょっと違うみたい。「作り出すことすべて」がこのことばのもとにくくられ、なかでも音楽と韻律はその中でも区分され、それらを扱う人がポイエーティースと呼ばれる。
ポイエーシスは韻文でなくてもよく、それは形式に過ぎないこと。また、ポイエーティースはミューズに仕える、というフレーズもある。詩がまだ神の領域と結びついていた時代もあったということだ。そこから解放され、私たちは私たち内部にある教養や知識をまっすぐに書き記すことになる。文学、すなわちliteratureの名のもとに。
そこから始まって、現代詩のリアル・フィールドで活躍されている皆さんの作品を読む。集中度の高さ。意味の深度。ううむ、とうなってしまう。これが「詩」であるなら、自分の書いているものは何か、と。落書きです。読みうる、といった程度のね。落書き。
ま、落書き程度でも価値がゼロってことはないんだろうけどさ。価値がないって言い切る人たちは、それはそれで不安なんだ。自分の価値観が揺らいでしまうから。だからさげすんでしまう。さげすむって態度は、自己防衛の手っ取り早い手段。そう思ってるから気にならないよ。ごめんね。
ほんとうにことばにちからがあれば。問題ないことなんだけど。
落書きを。下書き程度にブラッシュアップできたらいいのに。
だけど。
そのために手放さなくてはいけない何かを私は知っている。
詩は、二の次。ごめんなさい。
だけどそれはね。私にとってのポイエーシス。
迷いなどない。強く。