終わりのない唄 -the reverse side-(novel) 
とうどうせいら

バスを駆け下りると、ドアが背中でパスンと閉まった。
ブロロロロロ………・・・
行っちゃう。あれに乗ってれば、出勤時刻に間に合った。
ため息。バスストップのベンチに座る。
お尻に変な感覚が残ってる。気持ち悪い。乗ると硬いのがあたる。というより、あててくる、男がいる。
もうずっとそう。毎朝。

「嫌になるよ、今朝……」
最初に遭った時は、彼に電話した。
わたしの彼は遠い街に住んでいる。列車で何時間もかかる。途中2度ほど大きな駅で乗り換える。わたしの住む所よりも、大きくて賑やかな。

んー、次から気をつけてバスに乗ったら? 乗る時間帯を早めるとか……。
「……それだけ?」
……もっと近くに住んでたら、一緒に乗って、ぶん殴ってやるさ……。

はぁ。遠いなぁ。いっろーんな意味で遠い。自分の身は自分で守らなくっちゃあ。
そう思った。

「なぁ、最近は会ってないの?」
ある日の休憩時間。喫煙室で会社の先輩がそう言ってきた。
「誰ですか?」
「遠距離の彼氏だよ」
「電話してますよ、メールも」
「デートは?」
先輩がタバコの灰を落とすのを見る。そろそろ灰皿、洗わなくちゃ。
「……会ったのは4ヶ月前です」
「それはぁ、ダメだよ」
紫煙をフーッと天井に吹き、先輩はニヤッと笑う。
「痴漢の話にそんな淡々とした反応しかしないのはちょっとヤバいんじゃない」
「やばい……?」
「4か月の間に何が起こってるかわかんないよ? いろんな奴、いるからなぁ」
「違います、そんなのないです」
先輩がタバコの火をクシャッと灰皿で揉み消したので、皿を取って給湯室へ行こうとした。
突然、先輩が私の手首を強く握った。
「そろそろ淋しいでしょう、」
グイッと引っ張られて体勢を崩す。灰皿が落ちる。
「俺だったら、もっと親身になるから」
「いやっ」
抱きしめようとする先輩の足を思いっきり踏んだ。灰だらけになった靴で逃げた。

自分の身は自分で。

彼には何も言ってない。彼と電話する時は楽しい話だけ、するんだ。
心配なんて、させない。
ベンチで伸びをした。うーん。

あーーーー。
大人のおんなは疲れるなーーーーーー。

上を向く。友禅流しみたいな視界いっぱいの筋雲。この変な雲なんだろう。前ニュースで地震雲とかいって似たの映してたなぁ。朝陽が反射してオーロラみたいだ。彼の所からも見えるのかな。雲はずるい。

もぉいい。今日は休んじゃう。

わたしは携帯を取り出すために鞄を探った。今日も暑かった。秋なのに、真夏日の気温がずっと続いてるってニュースで言っていた。汗が鞄の上に落ちた。
お尻の感覚はまだあった。先輩の声が頭の中をゆらゆらしている。そろそろ淋しいでしょう。最近、生理がなかなか来ない。だるい。

だるい。もぉいい。わたしは涙目で携帯を開いた。


    パチン


夕方。部屋でうたた寝していたわたしはメールの着信音で目が醒めた。彼からだ。
…今日暇なの?          少し考えて。
…ウン、割と早く終わったんだ。  ズル休みのことは打たず。

ピンポーン

「っはーい」

髪をさっと直して、ばたばたと玄関へ。

やほ 
「…え?」

立っていたのは、彼。どうして?

迷惑だった?
「ううん、でも…」
実はさ、
彼は一呼吸置いて言った。

どうもこの国は駄目らしいんだよね、だから逢いに来ようかなって思って。

一瞬、唐突な彼の言葉に、面食らった。四ヶ月ぶりに会ったと思ったらこの発言……。また、いつもの悪戯なの?
彼は、優しく微笑んでいた。でもなんか……。
「そっか…」

わたしはまっすぐに彼を見る。
少し痩せた。穏やかだけど、疲れた顔、してる。それを言うために、電車乗り継いで来たのかな。どうしてか淋しそうに見える。
この国は駄目っていうことば、は、とても軽くて。夢みたいだ。そのことばを言った彼がここにいることも、夢みたいだ。
でも彼はここにいた。革靴に浜辺の砂がいっぱいついていた。潮の香りがした。
微かに、汗の臭いがする。

来てくれた。なにか想いを持って、来てくれた。

そしてゆっくりとわたしは目を落とす。
「うん。わかった」
彼は後ろ手にドアを閉める。わたしはキッチンへと歩き出す。

おいしいコーヒーを淹れよう。これからの話を、聞くために。

フェルマータの静けさで。
わたしが充ちてゆく。




この話は、下記の作品を『彼女』の目線で書いた掌編小説です。
『彼』目線の本編はこちらです。

「終わりのない唄」umineko (自由詩)
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未詩・独白 終わりのない唄 -the reverse side-(novel)  Copyright とうどうせいら 2005-10-14 20:42:10
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