河童の屁—2
がんさん
取って置き・・・大切にしまっておくこと(あるもの)
誰しも「取って置き」のものはある。
取って置きのパイプ、
取って置きの万年筆、
取って置きのレターペーパー、
取って置きのカップ、
取って置きのコーヒー、
取って置きの時間・・・
それは何だかさ、
人と物との密やかな語らいみたいなところがあるんだよね。
その秘め事のせいか、どうもこの「取って置き」てぇ魔力に、
がんじがらめになっちまっているきらいがあるんだ。
特に「取って置き」のものを食べるときはひどい。
僕は、牡蠣フライが大好物なんだけど、
物心ついた頃から、その食べる式次第は、
きっかりと、かつ厳かに決められていた。
ここに、一皿の牡蠣フライ定食があったとする。
まず開会の辞は、牡蠣にレモン汁をかけるところから始まる。
そして、すぐに一口・・・なぁんて野暮なことはしない。
間違ってもしない。
プロレスでも、メーンイベントは、
さんざんじらした挙句の最後でしょ。
で、まずは添えのキャベツやポテトフライを、熟読玩味?する。
むろん、レモン汁が染み込んで、
つややかさを増したフライの肌合いや、
その匂いを横目で楽しみながらね。
興が昂ずれば、つまのパセリまでいただいちゃう。
そして、おもむろに至福のときを迎える。
そんじょそこらに転がってる牡蠣フライじゃなく、
僕の、僕のためだけの「取って置き」な牡蠣フライをね。
(これって、ケチ?―笑)
って、そこんとこが、どうも巷の凡夫には分からないんだな。
特に、その頃僕を取り巻いていた兄弟という邪悪なものたち。
まだ、来賓挨拶のあたりで、
「あれー、いらないの」なぁんて軽々しくほざくと、
目にも止まらぬ早業で、僕の、僕だけの牡蠣フライをパクリ。
あぁ、あぁ。・・・これで、怒り心頭に発しないものは、
かのぬけたビール、つんとこない山葵みたいなもの、
もう一度、褌をしめなおしてかかったほうがいい。
(これって、やっぱりケチ?―笑)
ところが、ところがだ。
このごろ、この褌が少し緩んで来ちまったみたいなんだ。
うっかりしていると、
レモン汁もかけずにフライをぱくついている僕がいる。
歳を取ると、せっかちになるてぇのは、本当だね。
あれほど守り通してきたポリシーを、
兄弟には、「欲張り」だの「けち」だのさんざん言われながら、
それでも孤塁を守り続けてきた崇高なる儀式を、
自分で「うっかり」破っている。これこそが、「あぁ・・・」だよね。
「取って置き」てぇのは、
きっと、僕と物とのかけがえのないSignなんだ。
それは、僕たちにしか分からない言葉で、
僕たちにしか創れない物語を紡いでゆく。
「目に見える世界」で、しみじみ疲れてしまったとき、
僕は、心に開いた「取って置き」という入り口を見つける。
その先に広がる世界は、「不思議の国のアリス」のように、
パイプが踊り、万年筆が歌い、レターペーパーが笑う、
きっと、そんなところだ。
ひとしきり遊んだあと、
ぼくはまた、勇気をもらって目に見える世界にたち戻る。
そうなんだな、「取って置き」なものたちとは、
僕が心という鏡に乱反射させた「沢山の僕」に他ならない。