平坦な戦場で僕らが生き延びること/高田夙児氏の詩について
渡邉建志

駆け抜ける分散和音


■マルボロ(リミテッド・エディション)http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10865

無責任で冷めた視線。文章の表面はどこまでも冷えて分散し、そしてそのなかの心情もあるいは放棄されたものかもしれないけれど、それでもふとよぎる熱いもの、だとか、叙情、だとか、ある気がする

この詩はとくに分散がきれいにひとつのラインに収まっていて

友人の名前がただのBだったり
会話が「」で区切られてなくてほったらかしだったり


  ぶす・でぶの女は俯いたままビニール袋を下げて
  横へスライドしていった

とまあ冷酷な視点だったりでも突然


  そのとき揺らいだ女の髪が少しきれいだった

なんて意外なことを言って見たりそれから間髪入れずに


  おいどれだよ
  Bは黙って奥へひっこんですぐに戻ってきた
  これこれ よくね?
  赤いメキシカンなパッケージにブーツの形をした銀色のライター

会話が入ってきたり、このリズム感って、なんかマンガみたいじゃない?いい意味の、さ。会話と絵のリズム、みたいなの。この無責任な感じもふくめ。 これこれ よくね? ってさ。そのなかでもいちばんクールなのが


  僕は笑ったが隣にいた彼女は笑わなかった
  かっこいいね
  僕はレジに手をついて言った Bは少し笑って

の 「かっこいいね」なんて、かっこよすぎるよ、
で、そんなやり取りがてきとうに終わった後で主人公 僕 はコンビニを出る 最後の独白がちょっと泣ける


  僕はそれを受け取って 1000円札を出した
  釣りはいらねえよな
  と笑って Bが言う
  まぁ と僕は曖昧に笑ってコンビニを出た
  冷たい風がまだ春を 冬が追いかけている 
  と思った

過去形の た はいつも冷たい。









歩く、透徹した目



■ピース、ストロボ http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=15167



   ある日友人が呟いた

  「鷺て、ポキておれそうね」


この冒頭だけで倒れそうになる。どうしようどうしようとおもう。理由を説明できない。それだけで、川が見え、どこにもいけない二人の姿が見え、
閉塞感の湿った視線
とでも言いますか。「ある日友人が呟いた」という一文が来るとき、ここには「僕」と友人しかいない。それで、大切なことを言うかと言うと、鷺のことなんて話してる。「ポキておれそうね」なんて言ってる。これはたぶんユーモアなんだけど、どうじにそこはかとなくかなしい。なんでそんなことを言うんだろう。友人は鷺をポキて折りたいのだろうか。ポキて折れそうなのはむしろ「僕」であり友人ではないのか?変わらない平坦な世界を細々と生き続ける僕らではないのか?


   白く細かった鷺が水しぶきの中
   静かに足を上げていた

「僕」の目の透徹。湿った、カメラのような。うん、彼はいつも透き通ったカメラを持っていて、僕らの見えないところで、とても自然に(ゝゝゝゝゝゝ)シャッターを切っている。あまりにも自然だから、たぶん本人も、自分がシャッターを切っているだなんて気がついていないんだと思う。気がつかないまま、彼は歩き続ける。


   自転車で走っていると、いつも
   ポケットにあるピースの箱がいつのまにかなくなる
   そっと自転車を下りても 
   ジーンズの右ポケットには何もない
   左にはライター ライターが勝手に点火するほうが
   煙草がなくなるより ずっといい
   と 思う いつも

歩きながら、あるいは自転車で走りながらか?それとも座ったり寝ころんだりしながら?「僕」は一人で考え事をしている。友人とたぶん二人でいるのに、「僕」は一人で考えている。友人は鷺のことをまだ考えているのだろうか。話さない二人。鷺についてだって、友人は一人ごちたのかもしれない。


   自転車で走っていると、いつも
   ポケットにあるピースの箱がいつのまにかなくなる

なんて「僕」の性癖を知らされる。一人の思考、反省を覗き見させられる。ことの快感。自分への愚痴。ちょっとした。を覗き見ること。人はなにかしら小さな欠点を持っていて、その小さな欠点を知ることは僕らをほっとさせやしないか。大きな欠点だったら重すぎる。たとえば僕には自殺願望がある。高いところに昇るといつも落ちたらどんな気持ちだろうと考えてしまう。でもこんな思考を覗き見したって快感なんて得られやしない。もっと小さな欠点(僕の場合、地下鉄の切符をなくすこと)だったら、へー、そんなところもあるんだねと、親近感を持ってもらえることがあるかもしれない。うまくいえないけれど、この2行は僕にとって、とても温かい。高田七不思議がもっとあるといいと思う。


   君が僕を好きだと言った

   今日仕事場の人が辞めた
   転職先が決まったという 聞けばJR東日本
   吸ってる煙草はラッキーストライク・メンソール
 
   たまには怒られることもある
   始末書を今週中に出さないといけない

   僕は君を好きだと思わない


僕の一人思考のあとで、突然、君の言葉を回想する、いや、これは現在進行で会話が行われたのかもしれない。一方で君との会話があり、一方で僕の一人での思考が行われるという、意識の流れ文体なのかもしれない。実に僕の思考は分散していって取り留めがない。君が僕を好きだと言って、それで突然仕事場の話になるし、「聞けばJR東日本/吸ってる煙草はラッキーストライク・メンソール」なんてうたが入ってくる。うたは続く。「たまには怒られることもある/始末書を今週中に出さないといけない」 相変わらず一人の愚痴を読者は覗き込まされる。しかも重い愚痴じゃない。ちっさなこと。平坦な戦場を生き延びること。独り言を通過して、君への返答が相変わらず思考のなかで行われる。
「僕は君を好きだと思わない」


   猫科の動物になりたいと思う
   にゃー にゃー と言いたい
   外人ハウスに住みたい
   今外人が家にいる
   ロースクールには行きたくないと駄々をこねる友人が
   択一に受かったと泣いていた
   隣の家の人は皆挨拶しても返事をしない


君はどっかに行ってしまって、思考は相変わらず分散して走る。僕の新しい性癖が披露される。「猫科の動物になりたい」のだと言う。「にゃー にゃー と言いたい」のだと言う。それから、また突然なんだけど、「外人ハウスに住みたい」とか言う。意識の流れはもう論理を飛び越えて横滑りしていき、ロースクールに行きたくない友人の話とか、隣の家の人の話とか、もうこっち(読者)の都合も考えず独り言が続く。そのようすを、覗き見しながら、僕は妙にうれしくなる。


   わけがわからない
   日常はあっ、
   、という間に過ぎて
   きっと私は年を取るだろう

   ピースみたいにいつのまにか
   零れ落ちていく
   いつ 落ちたのか
   わからないまま


いままでの「わけがわからない」意識の流れは、どうやら日常のさまざまだったらしい。日常は「零れ落ちていく」、まるで自転車でポケットからいつもなくなっていくピースみたいに。こうやって、話はやっともとの場所に戻ってきた。



   それでも真夜中
   自販機の前でピースを買う 
   二百八十円
   おつりの二十円はいつでもおいたまま
   誰の手に握り締められるのか
   考えて 道を歩く

   点火/点火


それでも、という。なにがそれでもかわかんないけど、とにかくピースがいいんだろう。おつりの20円は誰かの手に渡っていく、そうして物語が語られないまま広がっていく。そんなことを考えながら、「僕」は歩いている。そしてタバコに火をつける。2度ライターを点火するそのようす。/の示す絵の鮮烈さ。リバーズ・エッジのいちばん最後のコマみたいに。


   ピースの短い間の煙
   私は眼を瞑り 
   呼吸をしている

   かざした両手は
   色褪せない
   ライターはいつか点火する
   それを待とうか、
   なんて心地よく考えもしながら


「ライターはいつか点火する」 自転車で疾走しながら、左のポケットで。僕は燃えながら川に転落するかして、たぶん死ぬんだろう。そんな死を待つ気分は「心地よ」いんだって言う。

僕はタバコを吸わない。だけど、こんなふうに気持ちよく死のことさえ思うことができるなら、吸ってみてもいいかも、とか、思う。


散文(批評随筆小説等) 平坦な戦場で僕らが生き延びること/高田夙児氏の詩について Copyright 渡邉建志 2005-09-23 03:38:38
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