詩のおっさんのこと
Monk

詩のおっさんは夕暮れ帰り道を歩いていると後ろからちゃりんこで
追い抜いていく。そしてしばらく進んでから「追い抜いたらあかん
がな」とひとりつぶやくのだが再び戻ってくるほど律儀ではない。


詩のおっさんは「なるほどなぁ」と言いながらよくこぶしを手のひ
らにポンっとやる。けれどもそれほど感心しているわけではなくて、
実はそのポンっとやるポーズをしたいがために「なるほどなぁ」と
言っているらしい。「このポーズがな、ええねん」とおっさんは言
いながらまたポンっとやった。


詩のおっさんはコインランドリーで乾燥機のグルグルを眺めてると
よく隣に座ってくる。いつもバームクーヘンを片手に現れ「おおよ
そ世の中はバームクーヘンみたいなもんやな」とつぶやきながらそ
の真ん中の穴から瞳をのぞかせる。けっこうつぶらな瞳をしている。


詩のおっさんは電車に乗るとつり革をギュッと握ったり下にグィと
ひっぱったり隣り合ったつり革のわっかの部分をカツンカツンとぶ
つけている。そして黙々と胸ポケットから取り出した手帳に何かを
書いている。たまに中吊り広告の端っこをひっぱることもあるがそ
れについては特に手帳には書かない。


詩のおっさんは地下鉄大江戸線でよく見かける。地下鉄大江戸線森
下駅の下りエスカレーターでよく見かける。その長いエスカレー
ターでおっさんはいつも逆向き、つまり上る方向を向いている。気
になって振り返るのだが何かがそこにあった試しはなくて、おっさ
んはいつも「あほが見よった」という感じで背中をひくひくふるわ
せている。


詩のおっさんは本屋で本棚を眺めていると近くに寄ってきてごちゃ
ごちゃとつぶやく。先週会ったときは「ハム大虐殺」と言っていた。
昨日は「ビジネスマン・ライク・ア・バージン」と言っていた。
きっと意味なんかないんだろうと思う。


詩のおっさんとこの間ケーキ屋の前で会ったときにおっさんは「娘
にケーキでも買っていってやりたいもんやね」と言っていた。
「買っていかないんですか?」とおそるおそる聞いたのだけど、
おっさんはいまさら何を言うとんねんみたいな顔をして「あほか。
どこに娘がおんねん」と言った。僕はひどく納得がいかなかったの
だが同時に恥ずかしくなってそのままケーキ屋に逃げ込んだ。


詩のおっさんは晴れた日にプラモデルを作りたがる。晴れれば晴れ
るほどその欲求は強くなるらしい。特に好きなのは城のプラモデル
で中でも姫路城がお気に入りであり、この間は姫路城の写真まで見
せてもらった。しかしおっさんは一度もプラモデルを作ったことが
ない。どうしてか聞いたら「そんなもん、作ってもうたら終わりや
がな」と言ってまた姫路城の写真を見ながらお昼のクリームパンを
食べていた。


詩のおっさんは腰が痛いらしくベンチに座り「これをな、ここに置
いてやな」と言いながら自分の腰の部分をベンチに置くジェス
チャーをする。そして「パンこねる棒あるやろ。あれでな」と言い
ながらさっき置いた自分の腰を棒で伸ばすジェスチャーをする。一
通り終えると「まぁそのうちやな、そのうち」と席を立ち、置いた
腰を元の腰の位置に戻すジェスチャーをする。


詩のおっさんは朝、歯を磨いていると後ろでいろいろ話をする。今
朝は1998年の日本ハムファイターズのクリーンナップについての話
をしていた。寝起きで頭がぼーっとしているし、そもそも1998年の
日本ハムファイターズのクリーンナップについて何の興味もないの
だが、話が終わるまで歯磨きを続けてしまい、いつも話と歯磨きは
同時に終わる。


詩のおっさんは夜中に猫にちょっかいをだす。寝ようかなと思った
途端、猫が騒ぎ出すとそれはおっさんの仕業だ。その現場を見たこ
とは一度もないが、おっさんの仕業であることは明らかだった。一
言注意しようと思うのだが見つけられたためしがなく、いつもその
まま夜の散歩を15分ほどして部屋に戻ると寝てしまう。


詩のおっさんは回転寿司屋で鯖ばっかり食べる。回っているのを食
べ尽くすと寿司屋に鯖、鯖と連呼する。おかげで僕も鯖が食べたい
のだが気がひけてしまいイカや貝柱など鯖以外のものを食べざるを
得ない。おっさんが「魚はな、鯖と鯖以外やねん」と言ってるのを
聞いてとても腹が立ったのだが、すでに目の前には鯖以外の皿が積
み重なりお腹がいっぱいになって店を出た。


詩のおっさんがぶらさげているカバンには少なくともテレビのリモ
コン、母乳漏れパット、螺旋型ストロー、カーテンレールの予備、
あと姫路城の写真が入っている。そんなものをいつも持ち歩いてい
ることも驚きだが、もっと驚くことに僕はそれらが役に立った場面
を全て見たことがある。


詩のおっさんは僕が学生の頃からずっと詩のおっさんなのだが、昔
は気味が悪くてほとんど近寄ることはなかった。今は声をかけられ
れば一応挨拶はするし、この間は突然「いちご狩り行ってきてん」
とおみやげのいちごを1パックもらった。前から思ってたんですが
おっさんはいったい何をしてる人なんですか?と聞いたら「そやな、
いちご狩りは冬やな」と言っていた。そして何やら指折り数えて考
えてから「あとカレーをな、食うわ」と言っていた。さっぱりわか
らないのでハァとため息をついている僕の横で、おっさんはまだ何
やら指折り数えていた。


詩のおっさんは安物のデジタル腕時計をしている。そして腕時計を
見ながら「もう五時かぁ」などと言って口笛をピィと吹く。特に何
が起こるわけでもなく、しばらくすると「ほれ次、自分の番や」と
言う。しかたなく僕もピィと吹くのだがやっぱり何が起こるわけで
もなく黙っていると、おっさんは「あかんなぁ自分」と言って笑う。


詩のおっさんは土曜日の午前中に歯医者の待合室にいる。ソファー
に座って週刊誌を開き、読者欄のクロスワードに取りかかる。しば
らくして腕時計を確認すると週刊誌をパタンと閉じ、それを持って
受付の窓口に行く。おっさんが週刊誌を受付の人に渡して「今日は
帰るわ」と言うと受付の人は「はい、お大事に」と言う。


詩のおっさんが仕事の終わる時間あたりに電話をしてくる。正直、
僕は仕事でミスをしたばかりで、あと恋人ともケンカ中だったので
遠慮したかったのだが、「うまいもんがあるから来ぃや」と一方的
に切られてしまった。しかたなく駅で合流したおっさんに付いてい
く。途中、うまいもんてカレーかなぁなどと考えていたら、そこは
知らないマンションの屋上だった。おっさんはズカズカ入り込み
フェンスも乗り越えてしまいタバコをうまそうに吸った。夕暮れ間
近でそこからの風景はまぁそれなりにきれいだった。おっさんは
「どうや」と言ってタバコをさしだし、僕はそれを受け取りながら
「アホですね、おっさん」と言った。おっさんはタバコを踏み消し
ながら「アホに合わせたっとんねん」と言い、そのまま夕焼けの中
に飛び込んで消えてしまった。僕は不思議と驚きもせずそのまま夕
暮れのタバコを吸い終わると駅に向かって歩き出した。


 * * *


何日かすぎた日の同じく夕暮れ、駅から家に帰る途中で通りがかる
公園のすべり台の上から長ーい影が伸びていた。僕はあの日、ひと
つわかってしまった。その影をたどり、すべり台の上の人を指さし
てこう言った。「あ、詩のおっさん『ツー』や」 おっさんは相変
わらずでかいカバンをぶらさげており「アホか、人を指さしなや」
と言った。「『ツー』や」と僕が繰り返すとおっさんは悔しかった
のか「ツーと違うわ、ボケ」と言った。僕はずいぶんと久しぶりに
大笑いしてしまった。



散文(批評随筆小説等) 詩のおっさんのこと Copyright Monk 2005-09-19 23:15:45
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