脳内電波理論
第2の地球
「脳内」という言葉が、流通している。
「脳内」とは、自己完結(優しく言えば シュミレーションか)
をするときに用いられる言葉で
(例えば「脳内彼女」とは自分の脳内に存在する、彼女である。だがここで「彼」とは誰か。)
(例えば「脳内プレイ」とは 現実の仕事や家族関係を「仕事プレイ」「親孝行プレイ」と逃避的に解釈することである。)
現実生活に救われない人の間で、大きな救いとなっている「現実」がある。
二者関係に於いては、価値観の共有という交友システム(価値観を共有させることで、友好関係を深める方法)
があるが、脳内では飛躍的にシンクロ率(同調性)を、高められるので、
この交友システムに則って、人間関係(2次元と3次元とのコラボレーション)を構築することが容易である。
だが、ひとつ注意、脳外の人間を自分の脳内に取り込むという「誤用」は避けたほうがいい。反社会性を産む素地になる。(脳内はあくまで脳内で!)
また結局が自分の脳内の所産なので、現実的な被害が無くとてもリーズナブルである。
リスク回避を第一原則とする、21世紀日本にはもってこいだ。
(そして哲学者にはお金がいらない。)
だが「想像力」という言葉が、いまネットに於いて「脳内」に変換されたのは文字媒体のコミュニケーションの脆さだと、わたしは信じたい。
そういえばここに来て(生命誕生60億年)、人は急速にコミュニケーション難へと陥っているように見える。
他のあらゆる分野が飛躍的に「進化」するなかに於いて、何故に立ち止まったまま、滞ったまま、なのか。
国や地域や民族、家族、友人、恋人・・・(バベルの塔はまたもや崩れ去る。)
結局人は、自分の中に還る。 それが「死」ということだ。
「脳内」は「死」に似ている。
コミュニケーションを捨てている、諦めている、(敢えて主観的に言えば)殺している。
「平和」とは うすら恐ろしいものだ。
わたしたちが、他者関係を殺したときにようやく、やってくるのだから。
たどり着こうとしている、「涅槃の境地」は彼岸ではなく此岸にあったとは。
(やはり地球は丸かった。)