今日は地元では特別の式典。その時間を避けるようにシャワーを浴びる。ちょっと、少し、避けている。意識してることの裏返し、なんだけどね。
テレビの画面では、小学生があいさつをしていた。ある意味リーディングでしょ?ポエトリーかどうかはわかんないけど、でもそれはそれでアリだと思う。ここではラップは届かない。スポークン・ワーズ。映像なんて必要ないんだ。降りそそぐセミの声。それでいい。
自分たちの街には特別がいくつかあって。たぶん今日という日も、そう。人が閃光に焼かれるという事実を目の当たりにするということ。当時の小学生たちは、すでに平均余命に手が届かんとしているけれど。
こども代表のあいさつにこんな一節が。
「戦争。争い。いじめ。暴力。」
戦争といじめが並列ってところに、参列した当時の小学生たちは苦笑してるだろうね。でも逆にいえば、そこまで荒廃してるってことかもしれない。焦土は自分たちの胸にある。立ち並ぶ銀色のビルたちとは、裏腹。
生きることは哀しむこと。内包すること。
私があなたの街を焼く。あなたが私の街を焦がす。
生きることは認めること。内包すること。
かがり火のように。
出会いを食べて生きていく。
私の血や肉となり、声や視線になりますように。
踏みにじったものも、明けわたした午後も。
立ち並ぶ銀色のビルたちが。
空を反射して。
8月6日 朝