米原駅ノート
渡邉建志
クラシック聴きながら詩を書くと詩が3拍子になってしまう、
でも詩は4拍子のほうがいいから、詩を書くときは狂ったロックやテクノを聴くと言う人のことを思い出していた。
今日中にたどり着けない電車に乗りながら。
詩とは風景をポケットに入れること、写真で撮りきれない光を言葉に収めること。
あるいは水を一滴ずつ落とすように、ことばを一滴ずつ
たらしてゆくということ。しずく ぽちょん しずく ぽちょん
あるいはだじゃれを2つつなげて異化をさぐるということ。
メランコリーと数万の
よこっとび。
米原駅。東海道線は、ここで乗り換えなければならない。
大垣(岐阜)から米原(滋賀)まで。米原からまた神戸の方面へ電車が出る。
米原に着いたのは11時を超えていた。京都へ帰る電車はないという。
新幹線も終わったという。
米原駅というのは、前述のとおり、
東海道線を乗る人が必ず降りなければならない駅である。
しかも、新幹線のこだま号が止まる駅でもある。
それならば、栄えているかというとまったくそうではない。
冬に米原に着くと、窓辺から見る景色は一面、雪の田んぼで、
いつもとてもさむい。夏でよかった。
今日、終電が終わったあと、シャッターが閉まった米原駅の前で
これを書いている。まさかこんなところで一泊するなんて思わなかった。
駅前は平和堂というスーパーがある(閉まっている)。そのほかはとくに何もない。
駅から歩いていって5分のところにサークルKがあった。
プリンを買って駅前へもどる。
終電を逃したのは私だけではない。駅前のロータリーに散らばって、
7人ぐらいがそれぞれ待っている。
始発を待つサラリーマンが、ぼくの左3メートルでスーツをかぶって寝ている。
慣れているのだろうか?(それは辛い生活だろうなあ。)
かばんから日経が見える。
ぼく右3メートルには20前後の若者がいて、
携帯でシューティングゲームのようなものをやっている。
それから、サークルKで買ったラーメンを食べている人がいる。
女の子2人組が、バス停のところで仲良く話している。
駅で見たときに、そのうちの1人が可愛らしい子だった。
すると、白い車がぶーんとロータリーを回って現れ、若い男の子2人が
バス停のほうに歩いていった。
ぼくは彼女たちの身をすこし心配した。
「だれか待ってんの?」 遠く声がする。
しばらく何かを話していたが、そのうち女の子たちの笑い声が聞こえてくる。
悪い人たちではないみたいだ。拉致していくとしたらどうしようかと思っていた。
今まだずっと話していて、これからどうするのだろう。
あの男の子たちはいつもこの淋しい駅前に来て、始発を待つ女の子を
引っ掛けているのだろうか。
茶髪のなんとなく感じ悪い男が、20台前半の若い男に小声で話しかけている。
2分ぐらい話していたと思ったら、一緒にどこかへいってしまう。
ロータリーをまたほかの車が通る。若い男が駅前を見る。
これもまた女の子を引っ掛けようとしているのだろうか。
僕と男2人しかいないので、車はどっかへいってしまった。
米原の夜を一人がらごろと荷物を転がしながら歩く。
誰も歩かない。車もない。
ぼくにとって詩とは何か、と考える。
中学のころ、ぼくが好きだったのは、「かんがえたことを文字に書ける」という事実だ。
それをできる人があまり周りにはいなかった。自分の考えを文体にするということ。
それが好きだったのであって、とくにおしゃべりが上手なわけではない。
むしろ苦手なほうかもしれない。
そしてぼくが好きだったのは、そうやって書いた自分の考えを、
ほかの人に楽しんで読んでもらいたいという気持ちだった。
(班ノート、というのが回っていて、それはそれは楽しかったのだ。)
しつこいぐらいに文章をひねり倒した。
文章としてエンターテインメントでありたい、と思っていた。
そうして、ほめてほしい人たちに、面白いね、とほめられるのが、とても好きだった。
それとはまた別に、詩とは、考えの断片のことだった。
それを水に溶かせば、ひとつの思想が広がっていくような、スープのもとだった。
詩ではないのかも知れなかった。ぼくはむしろ無音律俳句や短歌を書きたかったのかもしれない。
アイディアを乗せたかった。アイディアを乗せる船、それが詩だった。
それは形式ではなかった。それはアイディアそのものだったのだ。
でも詩は形式が必要なようである。そこが私にはどうしても水が合わなったし、
いまでもそれがどうしても合わない。
(以下空白 たぶん寝たんだろう)
2004/8/27