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「でもルールー
思ってたより
生きることは難しいよ」
そんな呼びかけの言葉でこの作品は始まります。
ある日、ふと気づくのだと思いました。
きっと、自分の中に蓄積された経験や知識や感情や・・・言葉が・・・満ちて・・・そして、とても自然に自覚するのだと思いました。
「生きることの難しさ」
この作品を読んだとき、僕は「ルールー」のことを知らなかったし、読み終えた今でもやはり、ルールーが何者なのかわかっていません。けれど、作者が呼びかける先には確かに、ルールーがいるのだと思いました。呼びかけは、受け取り方によっては「呟き」のようにも感じられます。「孤独」という言葉を持ち出せば、それは容易に自分との対話として処理され、そしてその言葉の向きは内向きなまま、深さを求めることはあっても広がりを生むことはないと思っていました。
「そうだねルールー」
けれどこの作品の言葉はけして内向きなものではなく、そう、それこそが「戦いに似ている」ように思えます。いいえ、今こうしている間にも戦い続けているのだと。マンボウの生む3億個の卵・産卵のために行進する数万の蛙。身近な生の存在は、まるで自分を形作る細胞の一つ一つが日々繰り返している生死のように感じられました。
そしてそれだけでなく、まるで薄皮をはがせば、僕はきっと感情と思考のかたまりであり、そしてそのことに僕は本当の意味で気づいているのだろうかと考えさせられたのです。
「わかっているさルールー」
生きて行くうえで大切なことを僕は意識することができ、そしてそれを掲げることで正義を保てることを知っています。ただ、そこには多くの矛盾が潜んでいることもあるから、僕はなかなか思うように生きられないことに苦悩するのでしょう。
ときおり犯してしまう過ちに怯えながらも。
そのたびに人は少しずつ成長してゆく。
ある日、ふと気づくのだと思いました。
どんなに傷ついたとしても、歩いてゆかなければならないと、誰かを傷つけてしまったときでさえ、それにさいなまれながらでも・・・ それは、その言葉の響きの良さに反して、けしてきれいなものではない。
だからきっと、
「ゆっくりでいいよ」
それは本当の優しさ。
まるで誰かに呼ばれるように歩をすすめてゆくのかもしれません。
「ルールー」
たとえそれが誰であろうと。
その存在にはずっと前から気づいているのかもしれない。
そのことをあらためて気づかせてもらったのだと思う今、
僕はこの作品にとても感謝しています。
「ありがとう」