左川ちかアーカイブス
佐々宝砂

左川ちか作品のアーカイブです!
全詩集が手に入らなくて泣いてた人は、読みに行きましょう。
そうでなくても行きましょう。

http://soredemo.org/archives_sagawa1.html

 左川ちか。佐川ちかと表記されることもある。私には、特別な詩人。

 このひと、たぶんあまり知名度が高くない。北海道で生まれたこの女流詩人は、昭和十一年に二十五歳という若さで亡くなった。本名を川崎愛子という。実兄である川崎昇の方が、詩人としてまた歌人として有名だ。川崎昇の人となりは、伊藤整の『若い詩人の肖像』に詳しい記載がある。その本には左川ちかもちょっとだけ登場する。

 左川ちかのことを知ったのは、私が二十歳くらいのときだ。当時私はマヤコフスキーに熱狂していた。それで、金もないのに西武美術館でやっていたロシア・アヴァンギャルド展を観るために上京した。そのとき、神田の本屋に立ち寄って、「幻想文学」という雑誌を見つけて買った(余談だが、私はこれ以後ずーっとこの雑誌を愛読していた。しかし残念ながら休刊してしまった)。雑誌の特集は「夢みる二十年代」・・・そのなかに、尾崎翠や野溝七生子の名と並んで、ほんの少しだけ左川ちかの紹介があった。モノクロの肖像写真と、詩が2編と、評論、あわせてわずかに3ページ。

 しかし、何かを好きになるのに、たくさんの情報はいらない。詩がいくらか、さらに肖像写真もあるとなりゃ、私は簡単に恋に落ちる(笑)。

 ヘンな話だけれど、最初に私の眼をひいたのは、左川ちかの写真だった。それはいかにも野暮ったかった。しかも全然美人でなかった。一重まぶたの細い眼、ぼてぼてした唇、黒縁のメガネ、素っ気なく短い髪、ベレー帽、自分で縫ったんじゃないかと思われる色気も何もないブラウス。意志がつよそうで理知的な雰囲気を持つ尾崎翠と、女王然として優雅な野溝七生子の間にあったから、それで余計に野暮ったく見えたのかもしれない。しかし、今思えば、野暮ったいからこそ気になったのだ。私自身も、野暮ったくて、メガネをかけていて、口紅を塗るとぼてぼてする唇を持っていて、色気も何もない格好をしていて、言うなれば「イナカの女子高の図書委員」みたいだったから。

 私はどうしても左川ちかの詩を読まねばならんと思い、近隣の図書館を漁ってまわった。アンソロジーや評論集に掲載された左川ちかの詩を、花を集めるようにひとつふたつと集めてノートに書き写した。そのノートは、大切なものとしてまだ私の手元にある。左川ちかの詩集はとうとう手に入れられなかった。どこかにあるのかも知れないが、まだ見つけていない(という状態であったのが、ネットで読めるのだから、非常に嬉しいのだ、わかってほしい、私はほんとうに嬉しい)。

 私が左川ちかの詩に惹かれたのは、そこに強烈な「喪失」を読みとったからだとおもう。たとえば、下に引用する詩を読んでほしい。


「花咲ける大空に」

それはすべて人の眼である。
白くひびく言葉ではないか。
私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。
空と海が無数の花弁(はなびら)をかくしてゐるやうに。
やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の顔をつき破る。
失つたものは再びかへつてこないだらう。


 青い魚もばら色の小鳥も顔をつき破るだけで、なくしたもののかわりにはならないのだ。無数の花弁のようにコトバを集めても、大切な何かは返ってこないのだ。左川ちかが何をなくしたのか、私は知らない。それは伊藤整への恋心だという説があるけれど、そう考えることはすこし単純な気がする。ここにあるのはもっと強烈な「喪失」であるような気がする。失恋したとか、故郷をなくしたとか、そんなレベルの「喪失」ではない、もっと根本的な、まるで世界を失ってしまったかのような、そんな「喪失」。

 抜き差しならない感じがする。切実な感じがする。しかし湿ってはいない。詩の世界は清潔で、かわいている。何かが終わってしまったので、それで清潔なのかもしれない。その、終わってしまったところから、詩ははじまるのかもしれない。私は左川ちかの詩を読むたびにそうおもう。そして、私もやはり何かを永遠に失ってしまった人間なのだと、自嘲的でなく、考える。


「緑」

朝のバルカンから 波のやうにおしよせ
そこらぢゆうあふれてしまふ
私は山のみちで溺れさうになり
息がつまつていく度もまへのめりになるのを支える
視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする
それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる
私は人に捨てられた


 彼女が書きたかったことは「失つたものは再びかへつてこないだらう」と「私は人に捨てられた」ということだけだったのかもしれない。けれどたぶん、そう書くだけでは足りなかったのだ。だからいろんなモノ、たとえば「ばら色の鳥」や「青い魚」を出してきて、何かを象徴せずにはいられなかった。山のみちで溺れそうになるどこか不思議で切ない状況を書かずにいられなかった。私にはそんな気がするのである。


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