程よく狭い包容力
宮前のん

先日、医療関係の講習会を聞きに行った。
そこで大阪の老舗会社であるM社という会社で顧問医をしていた精神科医の先生の講義を聞いた。
M社は創業20年の総従業員数500名ばかりの会社だった。だった、というのは平成10年に倒産したのだ。
倒産したM社は京都のK社という巨大会社に吸収合併された。K社は従業員3000名の大手で、MはK社の一部門となった。

倒産する直前まで、かのドクターはM社の医療相談室で10名の鬱病(うつびょう)患者さんを受け持っていた。
毎日数人が医療相談室にやってきては、仕事上の悩みをブツブツと話していったそうだ。
「女子社員にバカにされているようで」「営業に出ようとすると胃が痛む」といった内容の、相談とも愚痴ともつかないカウンセリングを行っていた。
そのM社が倒産して、K社に吸収合併されたのだ。ドクターは一番にまずその10名の鬱病患者さんのことを心配したそうだ。
ただでさえ鬱病でフラフラなのに、その上職場環境が新しく変わってしまったら、そのストレスに耐えきれず、自殺でもするんじゃないか。ドクターはそう考えた。
ところが、びっくりするような現象が起こった。なんと10名中5名の鬱病が治ってしまったのだというのだ。

倒産したM社の社長は、かなり包容力の広い人だった。許容範囲が広く、社員の提案をことごとく受け入れてくれた。
「社長、こういうアイデアがあるんですが」
「やってみればいいよ」
「社長、ぼくはこういう戦略で行きたいのですが」
「いいんじゃないかな」
と、社員の意見を尊重してくれる温厚な人物だった。
ところが、合併したK社の社長はそれとかなり相反する人物だったようだ。
明確な企業コンセプトが打ち立ててあり、それから外れるアイデアをことごとく却下する。
一か月先の努力目標を社員全員に決めさせ、その達成度合いを毎月評価する。そして、目標以外の事はやらせない。徹底した管理主義だったそうだ。
本来なら、包容力のある社長のもとで働く方が鬱病が治りそうなものなのに、実は全く逆だった。
ある一定の狭いコンセプトに乗っ取った企業経営の元で働いた方が、鬱病が治ったのだ。


何でも自由にやって下さい、と言われると、逆に迷う事がある。
たとえばマラソンにしても、コースを決め、タイムアップという目標を定めると、あとは走ることだけに集中できる。
しかし自由にどこにでも行って全部で42.195キロ走って下さい、と言われると、どっちの道へ走ればいいのか迷ったり、距離が気になったりで、逆にタイムが伸びなかったりする。
この迷いが、精神的な不安定さを生み、鬱病の原因を作っていたのだ。

長く続く平成不況の嵐の中で、船(会社)を沈めずに岸までたどり着かせようというのは並大抵ではない。
もし船員(社員)が、「僕は右に行きたい」とか「僕は左回りで行きたい」とか言う希望を口々に言って、船長(社長)がそれをいちいち許していたら、船は岸辺にたどり着けない確率が高くなる。
あっちにフラフラ、こっちにフラフラする船に乗りながら、船員たちはジワジワと不安感を募らせることだろう。
だが、「舵取りは私船長がする。目標はあの島だ。あそこにたどり着くために有用だと思われる手段があれば、意見を取り入れよう。だが、目標はあくまであの島だ。」
これぐらい船の方向性が決まっていれば、そして基本コンセプトに沿う内容であればどんどん意見を取り入れる姿勢であれば、船員は一丸となって島を目指すだろう。

トップに立つものは、程よく狭い包容力を持つべきなのだ。それはたぶん、会社に限らず。

もちろん、船員の意見を全く取り入れないぐらい船長がワンマンであれば、逆にストレスが高じて、船員は暴動を起こすかもしれない。
こだわりがきつく、人の意見を聞かない人ほど孤立するからだ。
だが、適度に狭い包容力というのは、目的や目標を絞り込むことになり、またそれによって、全員が結束を固めるという結果を生むことになるのだ。

人の意見を聞き過ぎた結果かどうかは判らないが、温厚な社長のM社は倒産した。
そして、K社は今でも順調に営業成績を伸ばしているらしい。
こだわりを持ち過ぎるのはもちろん、こだわりがなさ過ぎるのも、どっちもいい結果を生まない。
やはり両極端な偏りのある考え方は、控えた方がいいような気がする。


散文(批評随筆小説等) 程よく狭い包容力 Copyright 宮前のん 2005-05-28 20:37:35
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