落涙
ただのみきや

曇天のいろむらに
絵筆をあらう少年の
かなしい青を見た
あなたの
深い行間の谷の底
眼裏に熱いわななきを拾う


ゴミ箱の中身を外に捨て
空になったそれで世界をすくいとる
だがわたしの気圏にあるものは
月の石とかガラクタとか
会話もできない幽霊ばかり


時に炙られ
さらさらと囁くように
もれ出した 
静寂
光を湛えたまま返さない
青磁の骨壺
菩薩めいた沈黙


大人になるということは
生を雑事で覆うこと
息継ぎをするために
息をとめて動きまわる
快楽をなぞればなぞるほど
鮮度はうすれ
記憶の輝きが増すばかり


老いがすすむと
生きるための雑事ははがれ落ち
誰かにつなぎ止められた生
まる裸の生とは
鑑賞されるものではない


母さん なにを願おう
あなたのために
もっともっと長生きすることか
苦しまずに逝くことか
たまに面会に行くだけだから
孝行息子も道化も演じられるが
もう退院しないあなたに
病院食しか口にできないあなたに


絵筆すら持てなくなったあなたに代わり
わたしが絵を描こう
最後に渡したスケッチブックは
ひらけどめくれど白紙の曇り空
降りてゆくために
わたしは絵を描こう
もうあらかた
自分をことばに変えてしまったのだから
身軽に落ちてゆける
たったひとしずく
海の欠片のように


どこかでつながっている
深い海の底の洞窟のような
細くねじれた路
あるいは鏡や
ことばの向こう側
一枚の絵の中の風景を
すこしだけ違う角度で見ているように



                   (2025年4月26日)













自由詩 落涙 Copyright ただのみきや 2025-04-26 10:26:08
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