つれづれと
死に巫女
はあ、長い……退院まではやはり三ヶ月ほどかかるようです。
今日は父が面会に来て……同じ病棟の年下の患者さんから「家族が面会に来るのって嬉しいですか?」と聞かれたのですが、「うちの父親はもう認知だからね……」と。
数ヶ月前の勢いはもうなくなっています。先日もヘアブラシを持ってきてもらおうと思ったところ、「ヘアブラシ、わかる? 髪を梳かすブラシ」「わかんね」……こんな調子です。
わたしは人事不省で入院したので、着替えやティシュ、タオルなども満足にないんですが、「わたしの部屋を探して」と頼んでも「わかんね」。
仕方がないので、Amazonで必要なものを注文して「家に届いたものを持ってきて」と言っても「届いてね」と嘘をつく始末。認知症の父の介護をすることは想定していましたが、わたしが倒れることまでは予想しておらず……
今日も、注文しておいたチョコレートが届いてないというのでコンビニで飴を買ってきてもらおうと思ったところ、「今日はデパートには行かねえど」……いえ、デパートではないです、コンビニ。
どうなることかと待っていたのですが、チョコレート、色鉛筆、塗り絵、ラジオなど持ってきてくれました。
わたしも父が一度に持ってこれるとはさすがに思っておらず、段階的に持ってきてほしいとは思っていたのですが、正直感謝していいのかどうしていいのか、分かりません。父が無理することをこちらも望んでいるわけではないので……
わたしが入院中の食事などは、れいの従姉が用意してくれているらしいのですが、いつまでも甘えているわけにはいかず。幸い、退院は先でも、一時外出は早めに許可がもらえそうで……許可がおりたら何か食事を作ります。
毎日の買い物にも出かけられない始末で、わたしのほうでは病院からパンや牛乳、お酒、かまぼこ、母の仏壇への供え物などを、Amazonで注文したり。……いえ、苦労しているとかではないんですが。
ただ、父が混乱しないように注文を取り消したりして、わたしはデビットカードしか持っていないので、その分は返ってこないんだろうな。預金がもう底をついているので、兄の手を煩わせたりもしています。
ただ、この二十年ほど音信不通だった兄が、父と連絡を取るだけでなく家にも顔を出してくれるようになって(これは書いたことがあるのかどうか覚えていないのですが、長兄はずっと父と不仲で)、「雨降って地固まる」っていうのはこういうことかな、って。
それにしても、わたしにしろ、長兄にしろ、父にしろ、「この年になってようよう」ということは言わなくてはいけないし、言われなくてはいけないんでしょうね。わたしがいちばんダメダメなのは変わらないんですが。
ただ、今日一つだけほっとしたのは、病院でわたしが使う塗り絵をわたしが買ったというのはあるのですが、すっかり絵も描かなくなった父に、「塗り絵くらいからまた挑戦してみたら」と先日電話口で言い、父もその気になったらしく、「んだなあ、やってみっか」──のような前向きな反応になったこと。そして、「お前、俺の部屋、勝手に掃除したべ」と怒られたものの、「ううん、した」「……んだから、俺の色鉛筆見つからねえんだ」……と。
こんな感じで、なぜだかそれだけは本当に心からほっとしました。
一緒に母へのお供えのクッキーなどを(父が間違って持ってきてしまったので)食べて帰り。わたしはこの父という人が、ひたすら不思議な気もちでしたが……。やはり、あと十年くらいは、父にも生きてもらう心づもりでいます。