それ、知性ではないですよ?
室町 礼
カント哲学やヘーゲルの思想、
マルクスでもいいし老子、孔子、孟子
でもいいのですが、
あるいは文芸批評家や作家詩人の書く
深淵そうな人生論や物事の解釈、説明、
そういったもの、
確かに面白いといえば面白いのですが
でも、まさか
みなさんそれを「知性」だと
本気で思ってませんよね?
>思ってもいいんじゃない?
>カラスのかってでしょ
IQの強い人にはそういった言説が
面白いかもしれませんがそういうものは
「知性」とはまったく関係ないものです。
わたしも「知の巨人」といわれる人の
本を愛読してきましたが、
それは単に物事を新しい視点から解き明
かしてくれる面白さからであって
それが「知性」なんて思ったことありま
せん。
そういうものと「知性」は
まったく関係ないのです。
>関係なかろうがどうでもいいんだけど
>あなたのいう知性って何?
「知性」って何かというと
他人の痛みがわかることを「知性」って
いうんです
言語ゲームじゃありません
言葉遊びでもありません
倫理の奪い合いでもありません
(いまはさかんに倫理をじぶんの側に
取り込もうとする人が詩人にもリベラル
にも多いのですがとくにポエムを書く方に
でも
他人の痛みがわかるふりをするのは
たいがいにしてほしいと思ってます
そういうものが詩の語りの中心にきては
いけないような気がします)
とはいえ
重層的なことばの世界を旅する
という面でいえば
言語ゲームや言葉遊びがとても面白い
ことは否定しませんが
それはやめられないカッパエビセンと
同じでドーパミンの快楽と
何の違いもありません。
でも、まさか
それが「知性」的だとか
その快楽がカッパエビセンより上とか
本気で思ってませんよね?
>わたしはポエムでも現代詩でも語り口
の繊細さに知性を感じるのだけどね。タ
ンポポの綿毛が風にふるえる繊細さ。こ
んな奥深い世界があったのかと思う時が
ある。
>知性ってけっこう幅広いものをさす言葉
じゃないかな
美学ですよね、繊細さとか美しさとかって。
でもそれ「知性」でしょうかね。
わたしの体験ですがむかし二十歳のころ
東京で新聞の勧誘やってたことがあって
ある瀟洒で美しいキリスト教会を訪れた
ことがあるのです。天使のように清らか
な歌声が聞こえてきてついふらふらと玄
関に足を運びました。
歌声がやむと神父がおごそかな声で
「世の小さくされた者たちの側に、神は
つねに立たれる」というような説教をし
ていました。窓からみると裕福そうなご
家族、母と娘さんたちの集会のようでし
た。
わたしはしめしめと思いました。優しい
人たちだ。これは新聞の契約をひとつと
れそうだぞ。
呼び鈴を押すと、重い扉が開かれ血色の
良い、日焼けした肥満体の神父が眼鏡を
ぎらぎら反射させながら現れました。か
れはわたしが「あのう、朝日新聞の.....」
といったところですぐさま新聞の勧誘と
見抜いたらしく、ものも言わずに分厚い
頑強な扉を轟音が響くほどのすさまじい
勢いで閉めたのです。あやうく飛び退く
ほどの危険な閉め方でした。
あ、も、う、も言わせてくれない。問答
無用のキャンセルです。清らかさと、繊
細な美と、神聖な哲理に浸っている彼ら
にとっては、悪魔のような訪問者だった
のかもしれません。
会う前にはしめしめと甘い妄想を抱いて
いたわたしは教会を後にしながら、鳩の
ようにくくくと笑い、自分の愚かさと世
の人々のきれっきれの「知性」のリアル
さに噴き出し大笑いしていました。
いま想い出したのですが新聞の勧誘をし
ていたころにこういうこともありました。
当時、金芝河(キムジハ)という詩人が
韓国朴正熙(パクチョンヒ)独裁政権を
批判して逮捕され死刑判決を受けました。
それに対して日本に住む韓国人も反対運
動を起こし、そういう集会をもっていま
した。
中卒でそういう政治問題にも民族問題に
もまったく興味関心のなかったわたしは
ただその日その日を生きるために(新聞
の契約をひとつとれば現金で千円もらえ
ました)てくてくと東京中を歩いていた
だけなのですがある一軒家の前に立つと
裸電球がついただけの暗い奥からケダモ
ノのようにぎらつく眼が多数わたしのほ
うを睨みつけていることに気がつきまし
た。最初からまるでわたしが何か彼らに
悪意と憎悪を抱いてそこにいるような、
そういう怖ろしい雰囲気が奥から吹いて
きて「あのう朝日新聞の契約にきたんで
すけど」くだけた、なごやかな態度で話
しかけても、わたし
をまるで悪の使者のような表情で全員が
みている。出てきた暗い顔の男は右手に
ナタのようなものを持っており、怖くな
って逃げ出しましたがふと見ると「金芝
河弾圧反対救援集会」なる印刷されたポ
スターが玄関の脇に貼ってありました。
わたしはまったく不愉快で一日中、胸糞
が悪い気分でした。彼らの善性が善性と
して機能するためにその対象、──悪を
つくりだす必要があるという偽善の構造!
いくらわたしが中卒で無学であるといっ
ても、ことばにできなくともすぐにその
ことに気づきました。
むしゃくしゃして池袋駅前を歩き、映画
でも見ようとしても学生でないから割引
してくれない。
みると学割の大学生たちが駅前で「金芝
河の即時釈放」を要求してハンガースト
ライキをしていた。
わたしはふらふらと彼らに近づきこうい
いました。
「あのですね、今、韓国は民主化を求め
て多くの労働者が逮捕され、もの凄い数
の一般庶民大衆が牢獄で次々に獄死して
います。しかし新聞はいちいちそれを報
道しない。救援するというのなら彼ら無
名の人々を含めて救援、解放するように
何故働きかけないのですか。叫ばないの
ですか。金芝河という有名詩人、その人
物だけが救かればいいのか。君たちの頭
には知的エリートしかいないのですか?」
殴られました。数人の学生にボコボコに。
>そりゃあんた殴られるよ
ケンカ売ってんだから
わたしのことを反知性主義者だという女が
いましてね。ビーレビで妄想のような批評
を書く少し頭のイカれた女ですが、結構評
判がいい。
その女はわたしがトランプ大統領を評価し
たことをもって反知性主義者とレッテルを貼
ってわざわざブログでも罵倒しているので
すが、
トランプもわたしも、反知性主義じゃない
のです。今どきの「知性」への批判ですから
反知性主義じゃなく「知性」批判にすぎない。
知性といのはね、本から得られるものじゃ
なく、現実の生活の桎梏から生まれるもの
なんです。
有名無名を問わず他者の痛みが理解できる
こと、それだけです。
そういうことがわからないイカれた女の書
物的知識だけを振り回したヒステリックな
妄想批評なんかが知性的な批評になりえる
わけないのです。
その女とつるんでいる東京大学じゃなく、
東洋大学出の男からは「学歴がないから
知性への嫉妬と妬みがあるんだ」といわ
れましたが、まあ、それはあるかもしれ
ませんが、しかし、東洋大ごときの男に
いわれたくないですね。
ああとうとう話がクソまみれになってし
まいました。
ご容赦。
あひっ。