キャンディー・バップ
ホロウ・シカエルボク


朗読するマリオネット、解毒的なソナチネ、雨の路面に刻まれた幾つかの足跡は、澱み、歪んで薄汚いエフェクトになる、ジャムのパンクは衛兵を連想させる、銃を肩にかけてしゃきっと立ってるあいつらさ、雨はもうすぐ止むってアイフォンが言ってた、過保護なまでに変化するシステムを進化だと言い張って行列に並ぶやつら、傘を差すことは随分昔にやめてしまった、ずぶ濡れで帰っても叱られることなんかなくなったから、バス停の側で立って泣いている女の子が居た、母親を探したがどうやら椅子に座ってスマホを見ている金髪の若い女がそうらしかった、覚悟の無い世界がタチの悪い風邪より蔓延している、もう気が遠くなるくらい昔からさ、俺は気まぐれにキャンディーを買いたくなった、ひとつずつ包んで袋にまとめてあるあれさ…コンビニに入って懐かしいパッケージのものをひとつ買った、ジャンヌ・ダルクみたいなレジの女はずぶ濡れの俺を見ても顔色ひとつ変えなかった、そんなことは別に珍しくないという態度だった、そんな態度を俺も欲しいと思った、コンビニを出ると雨は止んでいた、世界は小さな液晶画面の意のままに進む、でも、だからなんだって話だよ、手品か詐欺みたいなもんだ、そんなところに真実なんか別に隠れちゃいない、ある程度解き明かされた現実があるだけさ、わかるだろう、現実を受け入れることは別にリアリズムじゃない、それはロマンチシズムよりもロマンチシズムなんだ、幼稚、って言い換えてもいいけどね、キャンディーをひとつ頬張る、顔をしかめるような甘味、子供の頃はこんなものを喜んで舐めていたのか、でも愉快なのでそのまま入れておいた、大通りの車線の端っこで警察が事故処理をしていた、パトカーの前に止まった二台の車のドライバーはひとりは老婆でひとりは若い女、老婆は難しい顔をしていて、若い女は自分の主張を通すことしか考えていないみたいに見えた、どんなに厄介ごとが多くなっても車はなくならない、それを作ることで飯を食っている連中が大勢居るからね、金の為に命を二の次にする、まさに資本主義の鏡じゃないか、猫も杓子も車に乗らせて、余所見をしてもぶつからない車が売れまくっていたってこのざまさ、免許を取って車に乗る、ワァかっこいいなんてとっくに時代遅れだぜ、道路なんてもうこれ以上増やせることもないだろうに…渋滞が動くのを待つだけの連休なんていったい何が楽しいんだい?考え方を変えることが必要なんだ、別に車に限ったことじゃない、旧態依然な、抜殻みたいなシステムをそれでも動かそうとしてる愚かな真剣さがどうしても抜けないんだね、変化について行けないものはそのうち終わりを迎える、恐竜が氷河期によって滅びたようにね、おい、無意味な自信を胸に街を歩く君たちはそろそろ化石になるんじゃないか、とっくに燃え尽きた炎の前で暖を取ろうと目論んでいるんじゃないか、ずっとそうだったから、なんて、クソみたいな言訳を繰り返しながらこのまま頭打ちになり続けるのかい、マイペースや継続なんて言葉を一番駄目な使用例みたいな使い方して、美しい社会の幻想に浸り続けるのか、俺の目にはそれは、ホルマリン漬けの寄生虫と同じものに見えるよ、まあ…どうだっていいさ、俺はそいつらと一緒に終わりを迎えることなんかないんだから―俺が迎えるのは俺の終わりだけさ、ひとりで生きて死んだ、そんな証のために書いてる、そんなやつがどれだけいるか知らない、もしかしたら少ない方かもしれない、文学部卒だとか、偉い人の本をたくさん読んできたとか、そんな自慢をしたくて書いてるやつだっている、でもそんな連中の書いているもので、胸に刺さるような言葉なんか俺は読んだことないね、これはあくまで俺の意見なんだけど―それはそもそもの目的が間違っているんだ、これは教養で書くもんじゃない、そうだろ?理解してくれる人間もきっといるはずさ、言葉にするべき未処理の感情が多過ぎるんだよ、俺はそういう種類の人間なのさ、すべての事柄にいろいろな要素を求めるからね、解釈はひとつじゃない、自分のエゴのために答えをひとつにしてはいけない、それはもの凄く愚かしいことだ、乖離していることを問題にしてはいけない、乖離なんてして当り前のことなんだ、人間はそんなに感情を統制出来る生きものじゃない、感情に振り回されて生きるべきなんだ、感情的になるという意味じゃない、それはやっぱり愚かしいことなんだ、自分がなにをどう思っているのか、そしてそれにどんな決着をつけようとしているのか…これは詩に限ったことじゃない、あらゆる表現にはそうした側面があるはずじゃないのか、単なる嗜みで続けている人間なんてそんなにいないはずだ、新聞とか地方紙に詩や短歌を投稿している年寄を別にすればね、その感情に向き合っている瞬間の自分自身の揺らぎをどれだけ詳細に刻み込むのか、俺は、同じ言葉であることを恐れない、同じフレーズであることを恐れない、この日この時の俺が書くものは、この日この時の俺でしかありえない、同じ文章でも違う意味を語ることが出来る、俺はずっとそれを証明してきたよ、そしてね、それは、俺の核たるものがなんであるのか、そんな証明にもなっていると思うんだ、キャンディーを噛み砕いてしまったからこれで終わりにするよ、どこかの店で苦い珈琲を飲んで、甘ったるい気分を終わりにしたいんだ…。



自由詩 キャンディー・バップ Copyright ホロウ・シカエルボク 2024-10-30 21:54:34縦
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