なにかが寝床にやって来る
ホロウ・シカエルボク


無数の甲虫が這いずり回り鋭い牙をカスタネットのように鳴らしながら俺の皮膚を食い破り体内に侵入する、乱雑に食い荒らすせいで俺はまるで使い込まれて捨てられたズタ袋のように大小様々な無数の穴で埋め尽くされる、無数の穴からはキラウエア火山の噴火のように血液が溢れ続ける、虫に埋もれ、血に沈み、やがて死に塗り潰される、虫たちの歯音は遥か昔の改札口を連想させる、悲鳴を上げなかったことが俺は気になっていた、痛みを感じなかったのだろうか、いや、ずっと感じ続けている、いまだってうっすらと、身体が崩壊しかけているのをありありと感じている、では何故だ?いつかこうなることをどこかで知っていたのかもしれないとでもいうのか?食らうものがなくなったのか虫たちは俺の身体を捨ててどこかへ行ってしまう、俺にはまだ意識がある、とっくの昔に死んでいてもおかしくはないのだが…その時に俺は気付いた、俺はどこか別の場所から俺のことを見ている、集中治療室のベッドの上の患者をビニールのカーテン越しに見つめるようにね、俺は自分の部屋の床に半分沈んだ形で骨と皮だけになった自分の躯を眺めている、ということは死そのものは随分昔に訪れていたのかもしれない、いや、だけど、甲虫っていうのはおかしくないだろうか、普通こういう時は蛆虫ではないのか?カタカタと肉体の側の俺の頭蓋骨が顎を鳴らして笑う、その音はついさっきまで飽きるほど聞いていたあの音に似ている、気付いたか、というように頭蓋骨は笑っている、と同時に、失われた俺の身体は逆回転のようにゆっくりと再生される、目を閉じて、眠っているみたいだ、すべてが元通りになった瞬間、肉体の側の俺がかっと目を開いた、途端に俺はそこに引き摺り込まれ、気付いたら寝床に横になっていた、戻って来たのだ、俺は跳ね起きる、カサカサと背後で音がする、振り返るとついさっき見た甲虫どもが再び俺を食らわんと迫って来ていた、俺はハンマーでそいつらを叩き潰した、死にたくなければひとつ残らず殺すしかない、殺られる前に殺れってやつだ、一打一打にもの凄い力を込めた、虫たちの死骸は薬品のような臭いがした、そして彼らはあまり足が速くなかった、背中には羽を隠しているように見えたが飛び上がることはなかった、尺骨のあたりに痛みが走り始めた、左手を添えてもっと早く殴った、どれだけの時間を費やしたのか、甲虫はすべて叩き潰されて散らばっていた、俺は肩で息をしていた、もう腕が上がらなかった、壁にもたれて座った、一度目を閉じて深く呼吸をし、目を開けると甲虫たちの姿はもう無かった、ボロボロになった寝床があるだけだった、俺は困惑して四つん這いになった、嘘だ、確かに覚えている、甲虫が乾いた音を立てて潰れる時のあの感触を、音を、そうして四つん這いになった自分はいま、甲虫のように見えているだろうと思う、誰かが俺を叩き潰そうとするだろうか?それを叩き潰そうと考えるのは多分俺だけなんだ、ふん、カフカ気取りかね、何故だろう、すべてはどこかへ消えてしまったのにまだなにか、視覚の外でざわついているものを感じる、それは虫ではないかもしれない、けれど鋭い牙を持っているかもしれない、今度こそ俺の本体を食らおうと考えているかもしれない、それは強い意志なのだ、でもどうして彼らがそう考えたのか、俺には分からない、それを俺が理解出来る時が来るだろうか、それは俺だからこそ理解出来るものなのだろうか、もしもそれが理解出来た時俺はどうするのだろうか、虫たちのベッドに身体を投げ出すのか、俺はこれは自分の周囲に漂っているひとつの死の概念が具現化されたのだろうか、虫に食らわれるのなら死んでからがいいな、あんなものに埋もれて死ぬなんてあまりに悍まし過ぎる、とてもじゃないが眠る気になれなかった、彼らは戦場のハゲタカのように俺が目を閉じるのを待っているのかもしれない、俺にはそれがありありと感じられた、といって眠らずに居ることも気に食わなかった、どちらにしても彼らにとってはしてやったりの結果になるのではないかと言う気がして…携帯を手繰り寄せ、短い詩をひとつ書いてみることにした、とりあえずにせよ、そうしてみるのが一番いいのではないかという気がした、フレーズを足したり削ったりしている間、彼らは沈黙していた、なるほど、つまり、俺がなにかしらの作業に没頭している時には口を噤んでいるのだ、まったく面倒臭えなと俺は思った、あの甲虫たちの立てる小さな乾いた音は、チック気味だったころのことをあれこれと思い出させた、ああ、あの虫たちは結局、俺から生まれたと理解しながらここで俺を食らい尽くそうとしていたのだ、気分はあまり良くなかった、俺は暗闇の部屋の中で一点を指差した、不自然な黒い影が壁に張り付いていた、逃げるなよ、と俺は言ったがあっという間にやつらは姿を眩ませてしまったのだ、壁掛けの時計は深夜一時を指していた、俺はもうどうでも良くなってベッドに横になった、きっと明日も目が覚めるだろうと信じて疑わなかった。



自由詩 なにかが寝床にやって来る Copyright ホロウ・シカエルボク 2024-09-12 22:08:47縦
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