青鰐・バッテン・凶区
nemaru

青鰐
1号1959年3月15日〜27号1963年3月30日発行まで?


ロゴ
1号
2〜8号
9号〜12号
13号〜



奥付情報から
奥付Aタイプ(1号から3号まで。発行人と発行日の記載があるタイプ)
奥付Bタイプ(4号から。発行人と発行日の記載がないタイプ。三行。)
奥付Cタイプ(9号から。発行人と発行日の記載がないタイプ。綴じに近い箇所に一行。)
奥付Dタイプ(14号から。
奥付Eタイプ(16号
奥付Fタイプ(22号。電話番号が追加されている。また、印刷所の記載がない。
奥付Gタイプ(23号。電話番号が消える。印刷所の記載は引き続きなし。
奥付Hタイプ(25号〜27号。編集発行が青鰐孵卵室になり、鈴木方だった住所は、仙台の遠藤方にいる高野へと変更になっている。)



《青鰐以前》
1956年8月 下書きノート

未刊詩篇
1958年12月以降〜1959年5月までの作品(詩の世界5号(1976年7月)にて発表)
1959年5月〜1961年4月までの作品(詩の世界6号(1976年11月)にて発表) 鈴木 24〜25歳



青鰐1 1959年(昭和34年)3月15日発行
編集人 高野民雄
発行人 鈴木康之
発行所 鈴木方青文字書房
印刷所 光明社

《作品》
青鰐たちの饗宴
海と女と太陽とから生れる諸々の島の物語


青鰐2 1959年4月15日発行
《作品》
海と女と太陽とから生れる諸々の島の物語(続き)
微笑


青鰐3 1959年5月15日発行
《作品》
口辺筋肉感覚説による抒情的作品抄


青鰐4 1959年6月発行(奥付が一部省略されており、発行日、発行人の記載なし)
《作品》
所属のない空間
東京ラプソディ
自己紹介の向上・迷走


青鰐5 1959年7月発行(初めて同人に鈴木・高野以外の人物。富永嘉信『棺桶作り』)
《作品》
ステンレス・キスマークの女・洪水
パン・バス・老婆


青鰐6 1959年8月発行
《作品》
石の乳房
座席と花環

食器と椅子と板の壁


青鰐7 1959年9月発行(ここから表紙に詩のタイトルが印刷され、奥付が裏表紙に印刷となる。奥付の情報は6号までと同じ。)
《作品》
サレテ・ムーシ地方紀行(初出。p8-p9にある第2連が他の発行物では削除されている。削除された連について、私は、石の風か胡桃ポインタにあった詩を思った。また、私が持っているものには、当該連に赤鉛筆で大きく四角バッテンが入れられていたり、行数やページ数を計算したとおぼしきメモが書き入れられている。写真参照)


青鰐8 1959年10月発行(私が持つものの『木目・波・壁』には鉛筆書きで消された箇所がいくつか見られる。まず、一行目、三行目、五行目の”建物”の箇所は斜線が引かれている。次に一行目、三行目は横に”壁面”と書かれている。五行目の”壁”の後には挿入の記号と”面”の字。最終行のあとには、消しゴムで消された鉛筆の跡で”私の背後は私の背の数十倍の高さの壁面であった”これらの書き込みはのちの発行物に反映されていない)
《作品》
続サレテ・ムーシ地方紀行
 草原と家
 森 URAさんのために一九五九・九
 木目・波・壁 EKOのために 一九五九・九
 ロマン


青鰐9 1959年11月発行(裏表紙の奥付が三行から一行になる。内容は変更なし。また、同人に富永嘉信『Imitation of Donne』)
《作品》
目覚め
画廊
言葉
日没の哀愁
リズム



青鰐10 1959年12月発行(私がもつものには表紙の『否定媒介』の左横に赤鉛筆で二重丸。また、5ページの『対話』の上の赤鉛筆で丸。6ページの『否定媒介』の右上にはサイコロの一の目のような記号があり、本文の周りにも矢印や”空間なし”や”一行あき”などの指示や数字が書き込まれている)
《作品》
対話
否定媒介
展望台にて



青鰐11 1960年1月発行(私がもつものには裏表紙が鉛筆書きの落書きで炸裂している。写真参照。同人に沢原涼『詩人の延期された埋葬』。『両面否定の夜』の右上に赤鉛筆で丸。また、本文内にも鉛筆で薄く数字の書き入れがある)
《作品》
両面否定の夜 EKOに
変奏


青鰐12 1960年2月発行
《作品》
人形
センチメント
安楽椅子
小説
娯楽


青鰐13 1960年3月発行(1周年。ポジの世界1(T=高野民雄と思われる)とネガの世界2(S=鈴木志郎康と思われる)が巻頭と巻末に設けられ開始される。『表紙カット/井上洋介の文字』。2色刷りの鰐を上から見たカット。だが、誌内のポジの世界とネガの世界の隅にあるカットも井上の手によるものにみえる。写真参照。私のもつもつには赤鉛筆でタイトルの上に丸やサイコロの一の目のような印、またペンや鉛筆で漢字を丸で囲み、外に線を引っ張って”?”記号や、矢印でページ間に”空間なし”などの指定、行数かページ数の数字の書き込みがある。)
《作品》
ビエンチュリの女
壁面の艶
凹んだ石片
屍体
ネガの世界1(詩作品ではなく、巻末の文章)


青鰐14 1960年4月発行(奥付が変更。中央揃えの編集・発行の下に高野民雄・鈴木志郎康の文字。発行所の住所の番地が漢数字から英数字に変更。カットの鰐が表紙と裏表紙にまたぐ形に)
《作品》
街にでると
決着
ネガの世界2




■青鰐15 未所有




青鰐16 1960年6月発行(表紙のカットが漫画のような鰐にカットに。13〜14の鰐よりかなり小さく。奥付から発行の鈴木の名前が消え、鈴木方青文字書房のみの記載。裏表紙の最下に一行で記載。目次なし)
《作品》
解釈学入門
疲労回復
ネガの世界4


青鰐17 1960年7月発行(表紙が黒と赤の2色刷りに。四角と矢印が赤。ネガの世界5が巻頭に。巻末のポジの世界5のイニシャルが(TTTTT)になっている)
《作品》
叔母の形見
又その中の青い閃光
ネガの世界5


青鰐18 1960年8月発行(裏表紙に青字のペンで落書き?写真参照。また、2ページにも文字のようなものが青字のペンで書かれている。 追記:裏表紙の落書きをGoogleレンズで翻訳にかけてみたところ、アラビア語として、”高野くん” “村尾”といった言葉が検出された。)
《作品》

手元の光線
砂漠の風と風風
ネガの世界6


青鰐19 1960年9月発行(表紙のカットが変わる。表紙に入りきらない大きな鰐の横顔と前足。裏表紙に後ろ足。尻尾は入り切らず。裏表紙に筆記体のような落書き。”30/Sept. - 60.”と読める箇所がある。巻末の「鰐の泪」というコーナーで、会費20円、送料共30円での購読を呼びかけている。)
《作品》
立像
海水浴旅行
ネガの世界7


青鰐20 1960年10月発行(表紙のワニは斜めにレイアウトされた目次=作品名と作者名の横断によって上下に寸断されている。『三角関係』に赤鉛筆で印がある。富永嘉信『L’AUTOMNE DES IDEES』。三角関係にはサイコロの一の目のマークあり。”尖”という漢字すべて丸で囲まれている。”蠅”の字も、?つきで。余白に蠅の字の四のような箇所がいくつか試し書きされている。前号から始まった鰐の泪。ぼく(高野)と鈴木の就職が決まり、富永が大学院に進むことが記されている。)
《作品》
三角関係
アルプス夫人の恋の思い出
ネガの世界8


青鰐21 1960年11月発行(ワニのイラストは断片的に使用されている。裏表紙中央下には大きな口を開けている小さなワニのカット。右肩にYの文字。表紙の作品名『写真』に、赤鉛筆で丸の後、青ボールペンでバッテン。『輪遊び』は青ボールペンで四角く囲われている。『写真』については、攻勢の姿勢1958-1971にも収録されていない。画・井上洋介/詩・岩間明『ここにいない人々の肖像』。『輪遊び』のp7、女の中に焼え続けている…の”焼”が斜線で消され、横に丸囲みで”燃”、また四行先の「陰欝だと」の”と”が斜線で消され、”よ”に訂正されている。光沢から、黒字のボールペンで書かれているようにみえる。)
《作品》
ネガの世界9
写真
輪遊び


青鰐22 1961年2月発行(初めて刊行時間が空いている。カットは抽象的なワニの絵と、その胴体の後ろに椅子に座っているような人間の絵。画・井上洋介/詩・岩間明『ここにいない人々の肖像2』。橋の下に下の作品中、p5”ごかい”に傍点あり。p7河底からはあの莖が林立していたの”あ”と”の”のあいだに、ちゅうかっこで”し”の字が書き入れられている。鰐の泪では、
「卒論のため、印刷所が変わったため、月刊の建前が崩れた」とある。また、「三月までに二十四号までは出すつもりです」とも。訂正情報も多いので、箇条書きでここに。
前々号(20号)は6ページと7ページが入れ違っていた
前号(21号)は10ページ14行目に「長靴は子宮をはいて」が入る。
7ページ10行目の「焼え」は「燃え」、同ページ14行目「…陰鬱だと」は「だよ」の誤り。)
《作品》
ネガの世界10
橋の下に下


青鰐23号 1961年3月発行(奥付から電話番号が消える。鰐の絵は、右下にかすれた線の入った異形の首と胴の区別がつかない男の頭の上に乗っかっている。画・井上洋介/詩・岩間明『ここにいない人々の肖像3』。全般にカットの色が非常に薄い。鰐の泪はナシ。)
《作品》
ピラミッド
ネガの世界11


青鰐24号 1961年4月発行(第一期終了)
《作品》
p5 無限に生長するオベリスク
p9 ネガの世界12



青鰐25号 1962年12月28日発行(25〜27号は、そのまま発送できるように2つ折りで綴じのない形になっている(27号の右側には切手と宛先人の名前と住所が記載されている。カットはなく、文字も横書きとなった。ポジの世界とネガの世界の書き手が交代している可能性。ネガの世界の最後に(tak-tam)とある。但し、ポジの世界にはサインはない。鰐の泪によると「1959年3月から61年2月までの24月にわたる第1活動期から、約23月の潜伏期をへだてて、青鰐は第2の活動期に入る。」)
《作品》
ポジの世界
暗い細い無限の穴
素晴しい欲望
青 月評12月 映画「私は六十二才」評(映画評。六十二に傍点。最後に(Yan S.)のサイン)


青鰐26号 1963年1月(1963年2月9日発行)(岩間明 今月の歌《遠くへ行きたい》)
《作品》
硬化
硬い頭
ポジの世界


青鰐27号 1963年2-3月(1963年3月30日発行)(岩間明 今月の歌《いつでも夢を》)
《作品》
ポジの世界
壁のない部屋
白い部屋




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バッテン
1号1961年6月10日発行〜11号 まで



バッテン
1961年6月10日発行 編集発行グループバッテン
2号からは編集高野民雄となっており
編集後記には(tak-tam)のサイン
紙質がいい…



鈴木志郎康の参加は4号(1962年5月1日発行分)から
作品は『旅行者』



バッテン5
1962年8月1日発行(裏表紙に同人の誕生年、誕生月、名前とが上から順に書かれている。1935年5月の鈴木志郎康が最年長、1938年8月の高野民雄が最年少。)

新生都市

バッテン5別冊 試論集●ぼくたちはどこにいるか
発行日は5と同じ。紙質が少し違う、縦に皺が入ったような手触り。
鈴木志郎康は20ページ
砂漠の自動天秤
《人間は未来に向うものなのだ。しかし…》


バッテン6
1962年12月8日発行(裏表紙の短い後記には『6号が先に出るか、7号が先か、わからない。どちらにしても12月は2冊のバッテンを持つことになる。じつは7号の方が先に編集されたのだが、発行が遅れたので、ナンバーをつけかえ、この号を緊急増刊することにした』とある。下に、同人の新刊・近刊予定もあり、近刊予定として『バッテンペーパーブックス1 鈴木志郎康《新生都市》』とある。また、編集発行高野民雄の住所が仙台となり、グループ×は彦坂紹男方を住所としている。)
壁の中


バッテン7
1962年12月20日発行(編集が彦坂紹男、発行もグループ×で住所は彦坂方となっている。後記も彦坂となり、「鈴木、高野が相ついで転居してから、もう四月になる。ぼくたちはしばらく全員顔合せはなるまい。」とある。また、鈴木夫妻の広島からの便りについて、など。)
部屋
回転空洞


バッテン第7号別冊.DEC.1962
特集●SCREEN, STAG, T・V
鈴木志郎康は
血液
(映画『切腹(監督:小林正樹)』について書かれている)


バッテン8号
1963年4月15日
望遠鏡


バッテンBATTEN第8号別冊
芸術における創造行為についてのモノローグ 高野民雄
八木重吉ノート 秋元潔


バッテン9号(BATTEN●9)
1963年8月15日発行
表紙は青銀色の英語の列で埋め尽くされ、同色のペンで丸で囲まれたり、バッテンで潰されている。丸で囲まれている文字はURGENT(緊急)が表紙の両上端の2箇所囲まれており、他は”B” “A” “T” “T” “E” “N”の文字が一文字ずつ囲まれている。
p2 闇の中でのことだった
(線で囲まれた”シゲキ性百パーセントの女!!”の部分は、活字ではなく、手書きのように見える)
p4 恋の歴史よ

9号別冊 ヘルダーリンの《聖なる》ことば(天沢退二郎)

※訂正箇所が多く、二つ折りの訂正刷りがある。
 主に、バッテン9号本誌p6〜p7(秋元作品)と
 別冊(天沢の試訳)。正誤表があり、
 見開きには秋元作品が再掲されている。


バッテン10号 1963年12月15日
p6 深い感情
p7 ゆきずりの恋
p8 激しい恋愛

(すべて1ページの詩であり、詩文中央上に名前や詩篇の題がレイアウトされている。文中には文字ではない記号のようなもの、食卓塩の小瓶を模した絵などがある。食卓塩の絵は、バッテン10号のものと詩集成「攻勢の姿勢」とは別のものである。「激しい恋愛」のみ、のちに第二詩集に収録される。)

10号別冊
増村保造小論


バッテンニュース(BATTEN NEWS)
1964 JAN(正確な発行日の記載なし)
(青鰐25〜27号と同様の体裁で、縦四つ折りの切手を貼って投函できるタイプ。号外?)

「特集映画1963」と銘打って、同人の映画採点表と、KIK(菅谷)・AMAT(天沢)の短い評が収録されている。
鈴木は
「につぽん昆虫記」10点
「太陽のはらわた」9点
「夜行列車」8点
「恐喝」7点
「シベールの日曜日」6点
「真田風雲録」5点
「午前〇時の出獄」4点
「鳥」3点
「母」2点
「非行少女」1点


バッテン11号 1964年2月15日発行
表紙に誌名、号数の他に
fin
1964.2.25の文字
表紙は落書きのようになっており、
囲まれたバッテンでもあり、凶と区でもあるような記号が多数散らばっている。
内容は
グループ・バッテン略年譜
1935年生まれの鈴木志郎康から始まる



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凶区
値段の変更、住所の変更など
日録の文字起こしなど(何かの雑誌にあったかも、確認)
定思考の4と6はどこに掲載されているのか問題



凶区
1号1964年4月10発行〜1971年3月5日発行の廃刊宣言号をもって終了(全28冊。詩学内の出張版=号外あり。こちらはNDLの個人送信化サービスで読める)

凶区同人であり、発行者の住所「渡辺方」の張本人・渡辺武信「移動祝祭日——『凶区』へ、そして『凶区』から(思潮社 2010年11月25日発行)」によると、発行日と実際にはズレがあることが記されているが、本書では凶区そのものの発行日に依った。

『移動祝祭日』での発行日情報は、巻末の書誌情報とまとめて記述する(予定。予定は未定)。

凶区9号(1965年8月25日発行)から、鈴木志郎康のプアプア詩作品の掲載が始まる(私小説的プアプア)。詩人の詩集成である『攻勢の姿勢』(書誌山田 2009年8月10日発行)にも11作品が収録されているが、凶区11号の「続続私小説的プアプア」は収録されていない。
「攻勢の姿勢」では、青鰐21号の作品「写真」についても収録されていない(のだが、この作品が鈴木志郎康本人によるものなのか精査が必要)




凶区 創刊号 1964年4月10日発行。
−ぼくたちはどこへ行くか−

表紙デザインは桑山弥三郎 DOCCO

冒頭のマニフェスト的文章である「オルフェの鏡 —ぼくたちはどこへ行くか—」は、同人の既発表、未発表の文章を、菅谷と彦坂が編集・構成し、見出しをつけたもの。
ここで使用されている鈴木志郎康「定思考」は未発表のもの。
《あらゆる領土は踏みこまれ、詩はちりぢりに撤かれてしまった—》 ※「撤」は「撒」かれての誤植か
襲われる私

払込票と払込通知票の綴が挟まれていた(写真参照)。
口座番号は「東京49498」
加入者名は「凶区発行所」となっている。

日録に作品「虹」が現代詩手帖(日録に記載はないが、1964年2月号)に掲載されたことが書かれている。






凶区2号
後記にはこうある「秋元潔詩集『屠殺人の恋唄』は 新芸術社の度重なる不手際により 遂に名前をつけられながらまだ生れない胎児状態を保つことになりました(以下略)」(O-SAMの署名あり、藤田治か)「凶区1号は、印刷をたのんだ新芸術社側のたびかさなるミスにより難産だったが、四月下旬にどうやら発行された。この2号は、暴走、バッテン別冊、青鰐、谺などの印刷でぼくらとしたしい千葉タイプによって印刷され六月上旬には発行される予定だ(以下略)」(T・WATの署名あり、渡辺武信か)日録にもこうある「□4月21日 天沢・渡辺 東中野の同盟商事で山崎悟と対決。凶区1号の表紙のミス 刷りのきたなさ 期日の遅れ及び重なるウソについて。□4月22日 凶区1号の半分 渡辺宅へ届く。」翌4月23日に「発送」とあるので、凶区創刊号にある発行日「4月10日」は事実と異なる可能性がある(発行日と発送日が同じものではないとしても、同人が期待した想定よりも遅延した可能性がある)。次、「□5月1日 山崎悟電話で 凶区1号の残りを明日届けると 渡辺にいう。もちろんウソだった。」たしかに、創刊号と比べると印刷が見違えるほどよい。創刊号は綴じが悪く、またところどころ印刷が判読不可能なほど不鮮明な箇所があった(写真参照)

払込票と払込通知票あり

定思考(1)
逆転する処女







凶区3号
後記に「次号ではFOCUS鈴木志郎康に大岡信氏の一文が寄せられる筈である。」(amatの署名。天沢退二郎か)日録「□5月25日 新芸術社と絶縁のため山崎悟と最後の会見(渡辺・高野・藤田・彦坂・天沢)ぼくたちは誰を支持するか というコーナーあり。番号ごとに回答するジャンルが決まっており、以下のようになっている。1詩人2作家・評論家3画家・彫刻家4映画作家5ジヤズミユジシヤン6歌手・タレント7ノンセクション鈴木の回答は1 藤田治(すぐれた硬質言語の製造者)2 谷川雁(まれに見る正統者)3 ヘンリー・ミラー(ああ、限りないsex)4 フオンタナ(ついにカンバスを切つた)5 ルイス・ブニユエル(透視者) 今村昌平(偏執狂的ドキユメンタリスト)6 雪村いづみ(テクニカルシンガー)7 高橋清(驚くべきそして信じられないNHKシネカメラマン)p51には近刊予告として鈴木志郎康第二詩集離籍離棄請求(写真参照)とある。p23には次号FOCUSの予告として次号のFOCUSは鈴木志郎康に絞られます。期待を集めるその内容は・鈴木志郎康作品集・大岡信の鈴木志郎康論に加えて、奇想天外の暴露記事の企画有とある(写真参照)。p11(お知らせ) 昨年春以来、ぼくたちは新芸術社との相互協力のもとに種々の活動を行い、山崎悟氏には確かに一方ならぬお世話になりましたが、氏の不誠実と無能力のため当初の目標を果さぬまま絶縁しました。特に左記の件では皆さんに非常な迷惑をおかけしたので、ことに現状を報告しておきます。一、天沢退二郎詰論集『詩はどのように可能か』は未刊であり、刊行の予定は立つておりません。一、秋元潔詩集『屠殺人の恋唄』は未刊であるのみならず、刊行予定は正式に取消されています。その他、菅谷規短雄詩集『六月のオブセッション』、鈴木志郎康詩集『新生都市』は、三百部印刷の約束のところ、わずか数十部しか作らなかつたため、在庫は著者のところにも全くありません。バッテン+暴走グループ




p11には(写真参照)





作品は

のみ


後記(p72)から
本は好きだ。原稿は大々だいだいダイキライだ(それが自分のものであれ、他人のものであれ、肉筆であるということは、ぼくにはたえがたいことに思われる)印刷された本も肉筆の原稿も、それぞれのある固着状態を示している。
しかし活字にされた原稿は、いわば
<快楽の苦痛>をより多くまぬがれた固着状態にある。網目が液体を支えるように、活字がそこに、その紙の表面に支えているものが何であれ、同じ文字であつても、活字の前で私たちはより大きな自由の中にいることができる。
(tak-tam)の署名あり、高野民雄か








凶区4号 1964年10月10日発行



筆者注:上記の「未刊」「取消」の箇所には傍点


FOCUS
 鈴木志郎康(p2)

  作品


 鈴木志郎康についての断片的なことば 大岡信(p9)

特集 愛について
鈴木志郎康(p25)

定思考2(p41)

映画評(p51)



※この号での大岡信のことば(欲望。それが問題だ。)は、のちに「売春処女プアプアが家庭的アイウエオを行う(凶区14号に掲載)」で引用される。




凶区5表紙がかなり凝っている、色数も増え、紙質も光沢がある
1964年12月10日発行

日録 11月17日公明党発足! (創価学会)

来訪者
定思考3



凶区6
1965年3月10日発行

巻末特集として
ノンセクションベストテン(64年度における映画以外のあらゆる芸術ジャンルのベスト・テン)
但し、鈴木志郎康は
ベストスリーとなっている。内容は以下(p94)
1オリンピック開会式における天皇
2現代の記録〈出羽三山〉(テレビ)
3岡本信次郎の絵画

p88-p93は巻末大特集として
六四年映画ベストテン 凶区プラス2
が組まれている。プラス2とは、凶区同人に加えて参加している2名(郷原宏・池田信一)のこと。

映画・監督・男優・女優に分けてランキングは組まれている。
同人+2名の計12名は、それぞれの思う1位〜10位を選び、そこに1位10点〜10位1点を割り振って集計し、表に組んである。

点数に基づくと鈴木は
映画1位 軽蔑 2位 突然炎の如く 3位 去年マリエンバードで 4位 夫が見た 5位 トムジョーンズ 6位 沈黙 7位 赤い殺意 8位(同率で2作品) 007危機一髪 山猫 9位 シャレード
監督1位 J・L・ゴダール 2位 L・ブニュエル 3位 増村保造 4位 今村昌平 5位 F・トリュフォー 6位 A・ワイダ 7位 T・リチャードソン 8位 アラン・レネ 9位 篠田正浩 10位 石井輝男
男優 2位 勝新太郎 3位 M・マストロヤンニ 4位 高倉健 5位 中村錦之助
女優 1位 ジェーン・フォンダ 2位 市原悦子 3位 メリナ・メルクーリ 4位 ソフィア・ローレン 5位 岩尾文子
となっている。


定思考5
女に向って位相せよ







凶区7号 1965年5月25日発行(但し、目次ページの下には”APR・1965”とある) 表紙が完全にカラーになっている
ここから11号までは表紙がカラフル

高野民雄または胎児型時限爆弾の優雅
鈴木志郎康+渡辺武信
(これは対談ではなく、鈴木の書いた高野についての手紙を引用しながら、渡辺が論を進めるという形がとられている。)

定思考7
増村保造「兵隊やくざ」

この号に鈴木の詩作品は収録されていない

後記(p52)に「日録にもあるが、詩誌詩学四月号に凶区の特集がのった。詩学の編集上の事情から、頁がずれて表紙から後記までの一雑誌の形をとれず、レイアウトの点からも困ったものになったのは、何とも悲しい無念なことではあったが凶区がいる部屋の写真とともに、一生懸命になってつくった号外版だから、見てほしい。現在予約中の読者の方には特典としておわけできるはずである」とある。




凶区8 1965年6月10日発行
MANDAT RESTAURÉ
(かなり極まってきている感はある)



凶区9 1965年8月25日発行
ゲストに吉増剛造
p2私小説的プアプア
p22欲望が委任統治される一九六五年 (特集・戦後)
p48映画 増村保造作品《清造の妻》解説 (清作の誤植か)
p55 定思考8(女の尻にはさまれる話。おもしろい)


凶区10 1965年10月25日発行
特集・広島(野沢・鈴木)
凶区パリ版として巻末に黄色い紙で天沢のコーナーがある。
p38 続私小説的プアプア
p42 ヒロシマの生命


凶区11 1965年12月25日発行
p2 カーラジオを越えて庄野潤三を越えて(エッセイ)
p28 続続私小説的プアプア



凶区12 1966年2月25日発行
全巻特集・映画への異常な愛情
★p20 私小説的映画体験談

p36には「特別附録・懐しの名場面」として
誌面に横向きの写真を切り抜いた紙が
縦に貼り付けられている(写真参照)
映画のワンシーンのように見える
これが元からすべての刊行されたものに貼り付けられていたのか
定かではない。また何か下地にあるのではないかと思ったが
糊付けが固く、確認できなかった。
(裏にも印刷がなされているようで、雑誌の切り抜きにみえる。)



凶区13 1966年4月25日発行
p38 同人消息にて(広島市)横川新町へ転居したと情報
p49 私小説的処女キキの新登場
冒頭一行目は29字で「やってくる」の「る」の1文字のみ2行目に送られている
この詩の他の最長行はp51の13行目の29字
続く28文字はp50の7行目と20行目、p51の16行目
p50の中程から、p51の左下まで註釈が固められている。
(写真参照)

※他の版では「私小説的キキの得意なお遊び」となっており
一行目は「やって」まで
続くニ行目は「くる」のみとなっている
最長行は6行目の40字(睾丸ころがし…)
続くp283の15行目(36字)
p282の1行目(35字)と続く
(攻勢の姿勢より、作品はp280から)



凶区14 1966年8月25日発行 発行所の住所が渡辺方から藤田方へ 購読料値上げあり

秋元潔☆尾形亀之助論

裏表紙の近号予告で「***鈴木志郎康———プアプア詩特集」とある。「***」は企画の進捗を示しており、*が準備中、**が執筆進行中、***が脱稿待機中、と説明がある。
***は鈴木のみで、他は**と*の企画が4つずつある。

p30→p40→p49→p62と、凶区バックナンバー紹介として2〜13号までの内容が簡潔にまとめられており、p62には、150円でお頒けできる旨が書かれており、また、最後の文章に「創刊号の在庫はまったくありません」、との記述。バックナンバー紹介のp40で紹介されている号数は
5→7
6→8
7→9
8→10の間違いか


p45 私的感情としてのルイス・ブニュエル —「ロビンソン漂流記」を見て
p50 売春処女プアプアが家庭的アイウエオを行う




凶区15号 1966年10月25日発行
裏表紙の近号予告は*で「鈴木志郎康———アルベルト・モラビアについて」とある

プアプア詩特集
p1 目次では
 プアプア特集
  羞恥旅行で処女プアプアは凍りそして発芽する(p2)
  私は悲しみに液化した処女プアプア(p6)
  プアプアが私の三十一才の誕生日を優しく(p8)
  法外に無茶に興奮している処女プアプア(p10)
  美しいポーズとして最後に私小説プアプアは死聳えて立つ(p12)→p12のタイトルは「美しいポースとして最後に私小説プアプアは死聳え立つ」になっている。
攻勢の姿勢では、「美しいポーズとして最後に私小説的プアプアは死聳え立つ」(p313)タイトルの下に*があり、p317には説明として
この作品は一九六六年十月二十五日発行の「凶区」十五号「プアプア詩特集」に「羞恥旅行で処女プアプアは凍りそして発芽する」などの四作品と共に発表されたが、『罐製同棲又は陥穽への逃走』には収録されなかった。何故収録されなかったかは不明。その後『現代詩文庫22 鈴木志郎康詩集』では、プアプアシリーズの最後に入れられた。
とある。


それ以外の作品も詩集収録よりも冗漫?少し長いものが多いように思える。(例!)



凶区映画採点表(8・9月封切)が折り込まれている
鈴木は
星4
星3
星1
駄作
また折り返しで寸評を書いている。

ゲスト吉岡実「ヒラメ」









凶区16 1967年5月20日発行
宮沢賢治特集
入沢康夫の寄稿あり

p20 賢治詩への私的接点で

巻末特集として
一九六六年映画ベストテン


凶区17 1967年7月20日発行
ゲスト金井美恵子
裏表紙の次号予告に
「☆凶区広島版」の記載あり

p19 エッセイ 浴室にて、鰐が


凶区18 1967年9月発行(日付の記載なし)
編集担当 鈴木志郎康
(表紙の紙質が変わる。ざらざらしたものへ)
(この号から23号あたりまでは装丁にクセがある)
p39 白色の巨大紙抄
p52 映画評 増村保造作品「痴人の愛」
p53 極私的広島市案内
(最後に東京の住所変更と、広島転勤から帰京までの時系列が日録のような文体で書かれている。)

あと、p12-p13の印刷の重なりがひどくて判読できない
(山本直子の「そこに蛇がいる」最終回と、渡辺武信の詩作品「氷柱花」が同じページに印刷されているためと思われる)
さらに読み返していくと、
目次ページが2つあり、また、11ページから14ページが落丁している。2ページ〜4ページは重複していて、そのページの上に、さきほど書いた渡辺の詩作品が印刷されている状態。



凶区19号 1967年12月25日発行


p63 映画評 舛田利雄作品「血斗」
p8 股裂き


凶区19号1/2 1968年3月臨時増刊・映画特集
1968年3月15日発行
1967年映画ベストテン




凶区20 1968年2月25日発行
後記がない。日録のあとの最後のページ(p52)には菅谷の「伝説」という行分の詩?のようなものがある

p5 映画評 増村保造作品『大悪党』
p22 乗り越えるべき殺戮




凶区21 1968年7月31日発行
演劇特集

後記にて、金井美恵子が正式に凶区同人に参加したことが表明されている。「凶区発足以来の初めて加えた新同人」とある。

日録にH氏賞受賞のことが書かれている。


p6 床抜き
p71 極私的に岡惚れて、岡焼き ——唐十郎のテント芝居に







凶区22 1968年10月10日発行
裏表紙の発行日や発行所の記載が一部手書き文字になっている

次号予告は深沢七郎特集とある

訂正表(正誤表)が挟まれていた

p2 少女皮剥ぎ
p16 映画評・増村保造作品「セックス・チェック第二の性」







凶区23 1969年2月10日発行
深沢七郎特集

p66 躍躍握手して、n項行く友よ、私たちはこの子の双父だ
   (双父に”ふたおや”のルビ)
p70 躍々握手して取る極私的方向 ——最近の自分自身の詩について——




凶区24 1969年4月10日発行(目次には「一九六九年・五月」とある)
凶区発行所の変更の旨記載あり

映画特集 1968年ベスト・テン

p41 無光映画館
p44 映画評/ファニーガール



p26
鈴木志郎康
•日本映画
1. 神々の深き欲望(今村昌平)
2. 積木の箱(増村保造)
3 三里塚の夏(小川神介)
4第二の性(増村保造)
5 毛の生えた銃(大和屋竺)
6 大悪党(増村保造)
7 金瓶梅(若松孝二)
8 以下なし


•外国映画
1ウィーク・エンド(ゴダール)
2マラー/サド(ブルック)
3 召使(ロージー)
4 中国女(ゴダール)
5 アポロンの地獄(パゾリーニ)
6 以下なし

日本映画
 映画館の前の切り抜き看板を見て、見たいなぁ、と思った映画はいくつもあったような気がする。ところが、私はもう映画に近かすぎていて、結局そのようにして見た映画は「積木の箱」と「初体験」だけだった。「初体験」はサギ的な映画だったけれど、その気持を満足させてくれた。実際、どうでもいい映画だったけれど、私は見事にひっかかった。私の好奇心はそんなことでまいらないぞ、と今更に決意する。

外国映画
監督の名前で見に行っていることが歴然とするベストテンに私は悲しい。私は全然退屈していない今の生活が全くなさけない。外国の女優の、例えばモーリン・オハラの赤い唇にかたず(傍点あり)をのんだ記憶なんか、もうあんなことは起らないのか。もうだめだ。外国映画を見るために、先ず退屈する生活を!外国女優に欲情を懐くために、先ず退屈を!



凶区25 1969年10月20日発行
後記からして、鈴木が編集

編集後記
72
只今遅れて来ました。というのが私の編集・校正等の集りでの挨拶でした。
結局「凶区」も只今遅れて出たわけです。実際おくれるというのはどういうものだかカッコ悪いのです。早すぎると間がぬけ、おくれるとバツが悪いというのは、まるっきり私なのです。丁度よく行こうとすればする程早かったり、おそかったり、結局、丁度ピッタリというのは実は相手方に合せるところを置かないで、自分方に合せていればよいのだと気がついたわけなのです。
従って私は、遅れて来ても、なんだみんなもう来ちゃってたの、とかいって、自分では遅れた気持を更々持たなければ落着いていられるわけなのです。世の中悲しいことが多いもので、どうせ
二百二才生きられるわけじゃなし(東北女の口ぐせ)、落着いていなくちゃ嘘よ。何んてたって毎朝水道の水で顔を洗ってちゃどうしようもないわけで、これから洗顔用のおみおつけでも作るとするか。
志郎康



凶区日録がめちゃ長い

p10 極私的夜行列車は暁を迎えて
p36 実践十円家族の皆様




凶区26 1970年1月20日発行
表紙情報がない
(写真を使用したもので、表紙は地球儀や開いた大型書物を囲むリンカーンと娘たちのように見える)

p70 家庭教訓劇(註を必読)



凶区27 1970年3月20日発行
表紙デザイン記載あり
映画特集

p38 凶区同人を止める私の事情

編集長への手紙 菅谷




凶区 廃刊宣言号(28)
裏表紙の下に
CHIEKO MORIYAの文字



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とりあえずのあとがき


みてくださってありがとうございました。わーい

数ヶ月かけて、鈴木志郎康さんが発表した詩作品を、初期から辿って雑にまとめてみたものです。詩誌を集めるのに10年ほどかかり、青鰐15号に関しては、いまだに未所有です。
情報としての詩は、それこそ現代詩文庫や攻勢の姿勢にあたれば得られますが、それでも抜け漏れ(何らかの事情があってのことと推測しますが…)や、初出でしか得られない成分(謎)があるのだなと感じました。詩集に収録されたものが定本となっている場合などは特に。「初出と詩集で多少内容が違ったからといって、なんだ」と問われたら、それはもう所有欲っていうか、自己満足でしかない。自慢といってもいい。へっへーんだ、持ってるんだもーん知ってるんだもーんってなもんです。あとは「なんでそう(添削)したんだろう」ってずっと考え続けて、ああじゃないかこうじゃないかって思いつくのが楽しいわけですね。



これらの情報、元々は本にしようと思っていて、今も思っているのですが、InDesignを触った結果、私のレイアウト能力の無さへの絶望とか、マシンパワーの非力さによる待ち時間のストレス、あとは予想以上に体力が落ちてきて、まとめあげられない可能性が出てきたため、断片だけでもここに載せておこうという考えに至りました。
(写真参照や、巻末の書誌情報にまとめて記述する、といった記述は、全て本の形を想定してのものです)



一生に出せる本、「私はせいぜい一冊だろう」という思い込みがあって、その一冊の中に、鈴木志郎康ファンブック、自分の詩、インターネット詩に関するテキスト、自分の身の上話や日記をまとめてやろうというのが最初の計画案だったのですが、しょっぱなからガッツリ躓いた次第であります。
その時の本のタイトル案は「ちがってたらテメーが書け!」でした。もうどこか間違ってたり、気になるんだったらお前が書けよっていう感じの本にする予定でした。



まあ、そんなこんなで取り組みは続けますが、一旦はここに吐き出して、少し身を軽くします。すごい疲れました。最後にもっかい、読んでくださったかた(っていうか、つらつらーっと目で追ってくださったかたがたも)ありがとうございましたー。ではでは 送信ボタン!





散文(批評随筆小説等) 青鰐・バッテン・凶区 Copyright nemaru 2024-07-14 16:49:49
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