善光寺参り
山人

 つまらない日記に過ぎないが、少し。
 かねてよりアウトドア用品をかなり買い込んでいたのだが、まだいくつかとりあえず必要なものがあったので某店に行くことにしていた。しかし、妻が善光寺に行かないかと誘うので、向かった。自分の車の後部タイヤの溝がやや不安があったので、妻の狭いセダンで向かった。
 意外に思うかもしれないが、妻は運転が好きなので、私は助手席に乗ることが多い。その日も好天で日差しがまぶしく、サングラスをかけて助手席に乗り込んだ。妻にとって、善行寺とは何なのであろうか、毎年一回は行くようになってしまった。
 山腹には昨日の初雪が少し残ってはいるが、道路はアスファルトが出ていていつものどおりのスピードで走ることができる。
 長野市近くになるとリンゴ畑にはまだリンゴがたくさん残っているが、これはもう放っておくのであろう。近くに山があるから、クマやタヌキたちがやってきて食べるのではないかと心配する。
 善行寺近くの駐車場に車を停車させとりあえずランチをとることにした。これもすでに妻は此処の店と決めていたような所作で、位置を特定し私は妻の後ろをひょこひょこついて行くだけであった。よく知らないがカフェ風の店で、料理は和洋折衷のようなメニューであった。前の日の夜はかつて山林仕事で勤務した方と現役の私たちの計三名でなじみの店で飲んだ。もちろん、私はノンアルコールをひたすら飲み、料理も臍から飛び出すほど食いまくった。おかげで妻が選んだ店の料理もあまり食欲の湧くタイミングではなかった。内容もミニ寿司が何個かあって、蕎麦ラーメンがセットとなっている料理であった。一見見た目はおしゃれだが、ミニ寿司の出来栄えは少々雑でもあり、蕎麦ラーメンのチャーシューは冷凍焼けくさいものであった。有名な店なのだろう、たくさんのお客さんが居たが店の演出だけが長けていて、どこか食の本質が忘れられているような気がした。たぶん、これも昨日の爆食いが作用したものだろうと思うようにしたが、なにかお高い人たちばかりの客を見ているだけで気分は良くなかった。
 善行寺に続く道はそこそこ遠くて、妻は車で再度向かうことを提案したが、私は何キロも歩くわけではあるまいと歩いて向かった。通路にはたくさんの家族連れや年寄、私たちのような世代や日本びいきの外国人など、私は人いきれで嫌になったが、妻はそういうところに慣れているのか、比較的空いている、と言う。できれば過去に戻り、妻と子供たちとともに訪れたいと、胸が少し痛んだ。まずは巨大な香炉に線香一束をくべて煙を体にあびることから始まり、木像の体の部位を撫でては自分の悪い部分を触るという儀式、最後は本殿の賽銭箱に小銭を投げ込み合掌して終了という流れだった。
 帰り道を歩いていると、小さな子連れの家族が何組も居たが、子供数が少ないと感じた。子供発見作業に明け暮れていた私だった。それだけ世の中は子供を持つことに躊躇するような世の中になっているということだろう。それどころか、結婚すらもできない男女が増えているという。夫婦がそれぞれ、勝ち組の人生を歩んでいる者だけが結婚でき、子供が持てるのが現代なのだろうか。どこまでこんな世の中が続くのだろうか、日本丸は。
 飯山に入ると、私はふと妻に運転を交代しようかと言う。頑固な妻も私に運転を譲るという。正直言って私は運転が嫌いではないが、妻の助手席でスマホや景色を眺めているのが好きなのである。ほとんどの私たちの世代の夫婦は夫が厳つい顔で運転席に座り、妻を制しながらリーダーシップをとりたがるのが常だが、私たちの場合は妻がリーダーであるという気がしている。父はそれを情けないと詰るが、私はあまり気にしていない。
 アウトドアショップに着いたのは午後五時を回っていた。セール中なので混んで駐車できないのではあるまいかと心配したがそうでもなかった。応対には社長が対応し、そそくさと何点か不足分を仕入れた。品物については専門的なマニアックな物品なので割愛する。
 すべての所用が終わり、簡易寿司店で夕食としたが、此処はかなり待たされた。あまり味はわからなかったが、ネタは良かったのであろう。気になるのは、妻のここのところの食欲と第三、第四、第五?だろうかの成長期である。


散文(批評随筆小説等) 善光寺参り Copyright 山人 2022-12-04 11:30:45
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