しがらみのふるさとに
山犬切

味噌煮込みうどんを食べストロングゼロ350mlのレモン味とグレープフルーツ味を2本飲んでしたたかに酔いお気に入りのハメ撮り系のエロ動画でオナニーをした後僕は布団にぐったりとうつ伏せになって腕を枕にして寝る体勢に入った ある冬の日のニートの光景である この日は曇っていて雪でも降りそうな日のことだった 雪もよいの空の下部屋の中で横になりながら僕は沈思黙考、というほど真剣にではないがおもむろに頭の中で思考を働かせる態勢に入った
最近読んだ吉本隆明の語り下ろしの本で人間は自分の宿命に従って生きるのが正しい そして宿命とは14歳ごろまでの母親あるいは母親代理との関係によって決定づけられるものだと書かれていた 母親との関係が悪ければ宿命も良くないものになっていきふつうの人の人生と比べてその人生がいくらか苛酷になるかもしれないし、母親との関係が良ければわりあいいい人生、穏やかな人生を送っていけるのではないか とかそんな内容だった それは本当のことだろうか?と僕は横になりながら話半分にその考えを咀嚼していた
別の橘玲というライターの本では、人間が抱える〈私〉という自己はだいたい遺伝とあとは比較的年代が近い友だちや異性とのかかわりあいによって決まると書いてあった その本のポイントは家族(による子育て)が子どもという個人の自己形成に与える影響は一般に想定されているよりはるかに微弱だということだった 二つの考えを頭の中に並べて思うが、母親は人間の自己形成にどれほど関係あるのだろうか? 僕の母親はとっくに死んでいるが僕の宿命はどんなものなのか 吉本の本では三島由紀夫の不幸な生い立ちが例として語られていた それによると三島は相当問題のある家庭環境で育ったらしくそれが彼の文学作品にも深い影響を与えていたという 具体的には三島の祖母は家族の主導権を全面的に握って子ども時代の三島をほとんどずっと母親から引き離して自分の監視下におき、わずかに授乳のあいだだけ母親の手に預けることを許可したらしい そういうわけで三島は幼少期に母親の愛情にまるで恵まれなかったという大不幸の持ち主だったそうだ たしかにそんな異常環境で育てば精神や人格の基盤もおかしくなるだろう
重ねて言うが僕の宿命はどんなものなんだろう 僕は凡庸な人間だが僕の心はいつもどこか傷ついていて不具に思えることがある 小林秀雄あたりの昔気質の批評家は作家や芸術家の宿命を「星」といったりした 僕の宿命、僕の星はどんなものなんだろう ちんけな糠星かもしれないが僕の星は他の星とどんな関係をしてるのだろう たかが自分の事なのに宿命とか自分というものが訳の分からない落ち窪んだ底知れない蟻地獄のように思える 僕のような凡庸な人間でさえこうだ 宿命とか自分とかを完全に解明したり究明したりすることはできるのだろうか
もう一度言うが僕の心は傷ついている 僕は自らの傷に温かい唾をつけてそれを癒すことがいつからか習い性になってしまった この慰安はこれまでも転がる雪玉のように自身の規模を拡大しようとする欲求を隠さなかったしこれからもゆっくりと強度を高めていく傾向にあるだろう この傷が、このビー玉に付いたひっかき傷みたいな傷が、僕という人間を自分を慰める方へと動機づける 母親。ふるさと。これらはどちらも他ならぬ僕を含めあらゆる人間につく烙印に似ているように思えた 僕は自分を慰めることこそ自分の為すべき仕事ではないかと思った 人生はマッチ箱のようだ 僕の母親はもうとっくに死んでるし、普通の人が中学や高校に通う年齢もとうに過ぎてしまった 僕は20代のニートだが闘う意志は萎えていない 変っていこうとする意思も衰えていない それどころかこのファイティングスピリットの火ばしらはますます強く太くなっていく気味さえある 僕は自分を慰めながら戦う プラスチックの森で綺麗な火事を起こしてやる 僕は横になっている状態をやめとうとう立ち上がった 僕は子供部屋のカーテンを引き窓を開き入ってくる12月の冷んやりとした空気に立ち向かってファイティングポーズをとった そして「殺し屋1」でイチが新宿歌舞伎町にぶっかけたように、僕もこの町、このしがらみのふるさとに精液をぶっかけてやる! と決意し威張りながら叫んだ 空に突き刺さったような灰色の電柱も、殺風景な家根々々も、コンビニへ行くまでの道に植わっている葉桜の一本一本もみんなまとめて精液まみれのベタベタにしてやる、と すると外の町で雪が降り始めた 天使の精子のような綿雪が降った… 君はどうしているだろうか 別の町に住む君にもこの雪が届くといい そう愛を込めて想った


自由詩 しがらみのふるさとに Copyright 山犬切 2022-09-22 17:27:45
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