吉川劇場
室町

どこにでもあるような地図をひらくと
どこにでもいるような人が歩き
どこにでもあるような町並が広がっている
どの家にも
雨が降ろうと
風が吹こうと
日付が変わらないカレンダーがあるような
そんなところに住んで
わたしは
もう何年も同じスーパーへ通っている
我が家の対角にある公園の前を歩いて
十字路を左に曲がると国道に出る
国道を渡るとファミリーレストランがあり
そこを左に折れてしばらくゆくと
閉鎖された総合病院の7階建ビルがそびえている
その脇道に入って西へ歩くと
十字路の角に
蜜柑(みかん)とツバキの木を植えた銭湯があり
昭和のおもかげを残した高い煙突がそびえている
その煙突の周囲100メートル四方には
古い民家や安アパートが建ち並んでいる
スーパーへ通うたび
わたしはこの街並みをいつも見てきた
この町で
反乱などありえないと考えていた
抵抗などありえないと考えていた
変化などありえないと考えていた
ところがついこのあいだのことだ
一枚五十円のお好み焼きを中高生相手に
細々と売っていたお婆ちゃんが亡くなって
そのまま何年も放って置かれた二階建てモルタルの
古い家のアルミ玄関引き戸の前に
高さ30センチ、幅40センチほどの
一枚のベニヤ板が無造作に立てられていたのだ
そこには黄の背景色に真っ赤な筆文字で
「吉川劇場」と書かれていた
ペンキの跡が垂れて恐怖劇場のようになっているが
わたしはあわてふためいた
いったい何が起きたのだ
何も起きてはいなかった
ただ
小さな板が玄関口に置かれていただけだ
しかし
何十年も何もなかった町に
突然「吉川劇場」とはなにごとか
いったい何がはじまるのだ
わたしはおたおたしてしまった
ようくみると「吉川劇場」と書かれた文字の脇に
同じく下手くそな小さな字で"居酒屋"とある
ノレンもなければ照明もない
あるのは板っ切れだけだったが営業はしているらしい
ときどきコロナに関しての注意書きなどが玄関戸に貼られていた
それから──半年たつが
玄関の脇に置いた板切れの看板はかわらない
一度、飲みにいってみたいのだが
よそうとおもう
これは何かの革命の火蓋なのだ
あるいは
玄関戸を引くと中は空っぽかもしれない
空っぽならそれはそれでいいが
もしかして岩手花巻のあの大御所が
ぽつんと一人で座っていたりしたらどうしょう
 おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさい。
などと招待されたらどうしょう
まさか、でも、
だからそっとしておきたい
いずれにせよ
「吉川劇場」が誕生してからわたしが通う
スーパーへの道中が愉しくなった
真っ昼間なのに
〈只今営業中〉などと書かれていることもある
いったい
どんなドラマが演じられているのだろう



自由詩 吉川劇場 Copyright 室町 2022-09-13 09:32:11
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