ホオジロと会話した朝
山人

 今日でゴールデンウイークが終わる。こういう期間に家業がないと落ち込むのだが、昨今のスキー場閉鎖やコロナ禍ということもあり、暇なことに慣れてしまっている。それでも暇ながら五泊ほどの客が居たと言えば居たが、数字的には哀しいものである。少ない客でもやらなければならないことは同じだ。掃除をし、仕入れをし、食事の準備をする。自分だけの食事の時はほぼ包丁を持つことはなく、猫まんまで十分だが、客に対してはそうはいかない。メニューを決めて仕入れをし、仕込みを行い、火通しなどをするものはして食卓に出す。料理で勝負する宿ではなく、山の蘊蓄で勝負をしている宿であるから、料理のグレードはさほど拘ってはいないが、総菜をつまみ、口中に投入し、味と食感を探り咀嚼するという行為の中で、決していい加減なものは提供できないという多少のプライドはある。
 連休中、当宿に見合わない客が来た。若い夫婦と一歳児。当然アウトドア系の客ではないが、目的を聞くことは憚れた。来訪時に妻が対応したのだが、勝手に若夫婦の旦那がその目的を告白した。近くの駅の二階が蕎麦の名店であり、そこを訪れるには朝七時の予約が必要なのだという。関東方面から来たこの夫婦は一枚のざるそばの為にわざわざ民宿に泊まったのである。その蕎麦店と私との関係は過去に多々あった。あったというのは私固有のイメージでしかないのであるが、とりあえず多くを語りたくはない、という経緯がある。

 四月五日から散歩をはじめ、すでにひと月が経過した。次第に距離を増やし、今は四〇分歩いている。ショートカットの車道は最初は雪に覆われていて、長靴でないと駄目であったが、今はほとんど雪は無くなってきている。あれだけ雪があったのに今は無くなっているいるという、うそのような本当の話。その昔、都会の子供たちをスキースクールで教えていた頃、この雪って夏はどうなるんですか?消えるんですか?と無邪気な質問を投げかけてくれた子供たちが居たが、ずっとここに住んでいる私たちであっても、あれだけの雪の量がまったくなくなってしまうことは驚くべきことなのである。
 周回がもう少しで終わる頃、建設業者のプレハブ小屋の屋根にホオジロが盛んにさえずっていた。藪スズメと俗称される地味な鳥で、単調な鳴き声で鳴く小鳥だ。車道と藪のはざかいに棲み、あたりまえによく見られる生き物である。まるで喉の奥まで見える様な近さでありながら、彼はさえずっていた。歌うというよりも、必死である。思わず私は話しかけた。何か話したのだが、何を言ったのかは覚えていない。私と彼の近さは自然に生を育む小鳥と、俗世界の人間の距離の域を外れ、間近であった。もしかすると、彼にとって私の存在は空気のようなものであったのであろうか。彼が仮にそう思ったとしても、私は彼を恨むことはなかった。言えることは私は彼と会話し、彼もそれに呼応し、話してくれたのである。しかし、彼が私に言った言葉は果たして何だったのであろうかと考えると小鳥語がわからない私には理解する術はなかったのである。
 その後、夕食無しの二泊の若夫婦のような客の朝食の準備を始めたのである。小付けとしてほうれん草の胡麻和えを計画していたが、夕食用の天ぷら用のマイタケやナスやカボチャなどが余っていたので、それをソテーにして甘辛く味付けしたのである。


散文(批評随筆小説等) ホオジロと会話した朝 Copyright 山人 2022-05-08 06:30:49
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