昨日、私は山に向かった
山人
昨日朝、山に向かおうとしていたが、気は進まなかった。空は曇り、山岳は霧に覆われていた。つまり一定の高度以上は悪天ということは予想できた。
家人に準備してもらっていた握り飯はすでにできていた。私は無言で母の線香を上げ、飯を食い、それを持ち去り準備にかかった。気分は乗らなかったが、行かなければならなかった。それは義務感というべきものなのかなんなのかはわからなかったが、行くことしか考えていなかった。
雪の有る時期の山には登山口となどと言うものはない。登山道は雪のために存在しないからである。除雪の終点が登山口となる。やはり登山口には私以外に山に行く奇特な人種はいなかった。そんな私を歓迎してくれる要素は皆無で、空はグレイに覆われ、さびれた廃ホテルが雪に埋もれているという、鉄のような冷たい現実だけが私を迎えていた。
スキーの裏面に滑り止めのシールを装着し、歩きはじめるわけだが、そのシールとて、すでに老朽化甚だしく、スキー板の滑走面にくっつけるべく粘着力がほぼ無いに等しい状態がここ数年続いていたのである。かろうじてスキー板の後ろ部分に取付金具がついており、それが粘着力をカバーしてくれているに過ぎなかった。
私は歩きだしたが、ここのところ身体は重かったし、出勤しているだけというぐうたら勤務に明け暮れ、菓子などを口に運んでいたツケが、この肥満な腹を作り出してしまったのだ。余分な脂肪もろとも山に運ぼうというのだから、足や心肺に負荷がかかるのは仕方のないことだった。
目的の休み場所までは、少し遅れ気味に到着した。緩登も終わり、いよいよ急斜面に入った。歩き出しが標高五〇〇メートルで、次のピークが約一〇〇〇メートルだった。一気に五〇〇メートルの標高差をかせがなければならないことになる。急な斜面では力はなるべくかけずにゆっくりと足を運んでいくことだ。心肺機能も筋力も体の重さもすべて普通よりも劣った状態であるから、こうして登るよりほかないのだ。
一〇〇〇メートルピークにようやく着いた。ピークはやはり霧に覆われ風も幾分吹いていた。尾根の雪堤は四メートルを超し、それが一部崩落していた。ここ数年来最も多雪だ。
スキーで歩いて登るという行為は、つまり帰りは滑走して下山するわけだが、山は天然地形であり、雪は自然のままで整備されていない。その時その時の雪質があり、相応の技術で対応することになる。しかし、スキー技術に限界雪質というものが存在する。それは最中(モナカ)雪だ。表面が風や外気温度によって凍るが、雪の表面下は凍っていないという現象だ。スキーで曲がりながら降りていくという行為は、スキーがズレないと無理なのである。このモナカ雪ではそれが極めて困難である。気温がどんどん高くなれば、これらは融雪し、比較的操作がしやすい雪に変質していくが、気温が低いままでは、こういったモナカ雪が終日続くことになる。一〇〇〇メートル以遠はまさにそういった具合で、表面に草加せんべいが乗っかっているような具合だった。
霧があたりを覆い、視界は一〇メートルほどであったが、ほぼ地形は熟知していたし、前日の登山者やスキーの跡が克明であり、地形を間違うことはなかった。
一二〇〇メートルピークで握り飯を食った。サングラスをとると幾分明るみを感じた。それに勇気づけられ、とりあえず一四七〇メートルピークまで行こうと思った。
一四七〇メートルピークを越え、一五三〇メートルピークにもう少しで着くと思われたころ、強風が威力を増し、私の体が浮くような恐怖に襲われた。尾根の裏側は最大斜度四〇度近い斜面が底まで続いていた。身の危険を感じ、下山に掛かった。
平らな地形までなんとか下降し、風の緩む機会を見逃さず、スキー板のすべり止めのシールを脱着した。
三時間五〇分登り、そそくさと下山に掛かったのだ。
視界が悪い中の滑走はなかなかあることではない。まして、単独では怪我やトラブルは断じて許されない。何かが起こればこの寒さゆえ、普通では済まないだろう。そんな事柄が体を緊張させ、かなりの安全策で滑走した。
誰も居ない山中の雪面は凍り、ガリガリと氷雪を削りとる音とビュービュー吹く風しか聞こえなかった。
一三〇〇メートル付近から一〇〇〇メートル近く迄の間は予想通り強烈なモナカ雪で、曲がる(ターンする)という行為は不可能であった。極めて原始的ではあるが、斜め下に向かって直滑降で滑走し、止まってから方向転換し、ジグザグに九十九折状態で下降した。
標高一〇〇〇メートルから下は、今度は重いザラメ雪であった。曲がることは可能であったが、雪の抵抗が強烈であり、難しい局面が多々あった。
目指した山にはすでに季節を問わず二〇〇回以上は登っていた山であった。季節ごとに、その日毎に山は表情を変える。昨日山は、私を拒んでいたのだろうと思う。最後まで付き合ってくれたが、さすがにここから先は行かせるわけにはいかないと言った山の情けであった。