雲海
山人

 九月十九日、登山道除草九日目。先月中旬から土日を狙い、作業は遅々ではあるが進んでいた。
 未だ暗い早朝、ヘッドランプを点けて準備をする。ときおり、行楽に向かうのか県境トンネルの中を疾走する車たちをうらやむ私がいる。いつものことながら、こんなことをしなければならない境遇を呪う。
 県境尾根から刈り払い機を担ぎ、歩き出す。暗い山道をヘッドランプで照らせば、朝露がふるふると跳ねるようにひかり、ヤマアカガエルの幼生がびっくりして跳ねていく。ときおり、光を求めて小さい蛾が寄ってくるが、さほど多くはない。闇は次第に薄れ、灯りがなくても歩けるようになる。
 県境尾根登山道は、途中まで送電線の巡視路となっており、そこの部分は登山道除草は除地となっている。なので対象部分の登山道まで刈り払い機を担ぎ、ひたすら登ることになる。その間、山道は九十九折りとなっていて、さして急ではないが、開けた場所に行くまでの間はひたすら我慢の登りとなる。なにを考えるでもなく、いつの間には体は暑くなり、汗の雫が落ち始める。それをひたすら数える。開けた場所に行くまでに、どのくらいの雫を地面に落とすのだろうか。たぶん、百は行くだろう。実に下らないことだが、そんなことを楽しみながら、いわば苦しみを楽しむ術とでも言おうか、変態的とも言えよう。汗はおそらく眉に集まり、そこからその都度落下していくのだが、起伏のある所では、連続で汗粒が落下することがある。そんな時には、なんだかちょっとうれしいような、得したような気分になる。そんな苦行の中の楽しみ方も工夫すればないわけではない。
 十日目、九月二十日、前日の作業地に刈り払い機はデポしてあり、作業の荷物だけを背負っての県境登山口スタートであった。前日の作業現場まで二時間半は掛かる。四時過ぎから歩き出す。気温は高くなると思い、水は二リットルにしたし、燃料も十分持った。ゆえに荷は軽くはない。
 早朝に登り始めるのには二つの理由があった。一つはもちろん早めに行って早めに作業を開始し、日の暮れないうちに帰路に着くという事である。もう一つは最初の樹林帯を登り切ると電力会社の反射板があるのだが、そこから眺める福島県側の町並みに雲海が発生するのである。
十一日目、九月二十五日、この日は約三時間の作業で終わる予定であったが、そこまではきつい登りの連続であり、作業開始時にはすでに疲労困憊となっていた。しかし、刈払い機は従順に活動を開始し、まるでそのマシンに操られているかのように私の体は自動筆記のように動いていて、ぐいぐい刈り進むことができた。
 二時間四十五分刈り、すべて終了となった。
 雲海の事だが、九月二十日は見事な雲海だった。そして二十一日も稜線を流れる様は心をとらえた。
 日々の怒りや、不条理を呪う気持ちが一瞬だけすべて消えてしまう瞬間だ。そんな時、私はいつも少年になる。
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散文(批評随筆小説等) 雲海 Copyright 山人 2021-09-27 19:28:29
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