菓子を食べに
番田 

僕は今日も街へ出かけた。人出は昨日とは変わって、少なかった。連休も終わりになると、出かける気力もなくなってくるのだろう。僕も、そこで何を買うのだということなどを、あまりもう、思わなかった。しかし、じっくりと商品を物色できたので、それ自体は有益な行動ではあった。目をつけていた喫茶店で、ケーキを食って、僕は出てきた。コーヒー付きで500円と、安い店だった…。でも、あのような店が潰れていくのは、後継者不足もあるのだろうか…。

よく晴れていた日だった。僕は、台風が一つ去ると、一歩季節が進んだように思えていた。疲れていた思いが夏よりは、無いように思えた。時々油を使ったケーキなどの食べ物を食べたいと、そして、考えるようにもなった。ケンタッキーもそうなのかもしれない。それは、日本が常夏の国であったなら、経済がそこまで、まわらなかったかのように思える瞬間でもある。

経済との駆け引きが、小さな店であっても確かに存在するようだった。人の行動を決めるのは、単純なようだが、複雑な思考に基づいていたりする。その商品が自分にとって有益なものであるのかを、10円のお菓子を買うにしても、人は瞬時に判断しているものなのだ。今、僕は冷蔵庫を買おうとしているが、そういった商品の場合には、長期的な価値でもって、物事を判断する必要性が出てくるのである。それをお菓子と同じようには、考えることは、まず、できないのである。

店主の生み出したであろう、ケーキは、甘くて美味しかった。包み紙も、金色で、目新しいように感じさせられた。ショーケースに入れられたそれを、何度も、そして、見てしまった。どれを次に来た時は、食べようか、などということを考えていた。残念だが、もうこの街に、長くはいないのだということは、決まっていたのだが。経済のことを考えながら、不確かな思いの中で、それを食べていた。


散文(批評随筆小説等) 菓子を食べに Copyright 番田  2021-09-21 01:23:32
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