ある秋の一日に
番田 

僕は生きていることで、何もすることなく流れていく日々の中だ。寂れた、遠くに感じる、ビルの空。僕は、そんな、日々だ。冷えた風に秋を思わさせられた。何かが、誰かの横顔に見えていた。目の前から車が水しぶきを上げて、遠ざかっていく。僕が、椅子に座って、テレビを見ているときのようにして。

プロバイダ契約に奔走している、僕の日々。生きているような気が、確かに、僕はしていた。単なるキャッシュバックだが、軽視できるものではない。風呂に入っているときも、どれにするのかを考えさせられていたりする。手に入れられるものが、何かを選択することだけで手に入るというのだから、手に入れられないものの多いギャンブル以上に、熱が僕は入ってしまうのである。

思い出すことのない、窓の外、僕の何も考えていない日々に過ぎていく、時。近所の街に出ると、今日は、すごい人出だった。摂取を、多くの人がすでにしているのだろうけれど、それにしても多すぎた。暑くも寒くもなく、気候は、僕は散歩には丁度よい温度に思えたのだけれど。あきらめて公園に行ってみると、ガキンチョの投げた玉が飛んでくることを考えると、僕にとって、ほぼ、その光景は昼休みの校庭であって、到底くつろぐことのできなさそうな状態であるように見えた。駆け回っていたり、球技をしている人の数がそこには、多すぎたのである。

部屋でオーディオをかけると、竹の節を割ったような、非常に良い音がした。やはり少しでも乾いていないことには、木の響きは感じられない。8月はBOSEでばかり、やや演奏部分の多めな…曲ばかりを聴いていたけれど。暑いと、厚みのあるサウンドというのは、回避されがちであるような気もする。そのような、フラットなソースを、あえてかける場合に限ってなのだが。BOSEでは、女性ボーカル主体の声の表現となると、不向きな点も多いような気がさせられていた。


散文(批評随筆小説等) ある秋の一日に Copyright 番田  2021-09-20 01:43:24
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