夢の迷い路
大町綾音
雨が降り続きます。それは決して晴れない雨です。なぜなら、雨は心のなかに降っているのだから。昨日はバス停でバスを待つ傍ら、ああ、この人はきっと割り込んでくる。と、いう人がいました。案の定、彼はわたしの前に割り込んで、平気でバスに乗っていくのでした。晴れていました、窓の外は。いいえ、薄曇りであったのかもしれません。病院へ行く道すがら、わたしは窓の外を見るでもなく、鞄に入れておいた本を読むのでもなく、ただ懐かしい思いに縋っていました。わたしを出し抜いた男など、どうでも良かったのです。ただ、過去の思い出と現在のなかに、沈潜している自分がいるのでした。道路脇には麦畑が並んでいました。いいえ、トウモロコシ畑であったかもしれません。野菜の畑であったかもしれません。ブルーベリーの果樹園であったかもしれません。私には、後悔と安息というもの以外、必要なかったのかもしれません。だから、今日のことを綴ることができません。明日のことを綴ることもできないでしょう。ただ、雨が。春の雨が降って、心を湿らせていたのです。沈黙は金だといいます。饒舌が銀で、沈黙が金。その意味も変わってしまいました。時というものは、未来だけでなく過去をも変化させていくものなのかもしれません。苦痛も、懊悩も、わたしには違った意味を持ちます。ただ、晴れた日の、薄曇りの日の、窓の外を見るだけなのです。いずれ忘れ去られない日が来ることでしょう。今もそうなのかもしれません。心臓には鉄の楔が打ち込まれています。ただ、ひと時の安寧がほしいのです。他人はわたしをなじることでしょう。果たすべきことを果たさなかったと。戦うべきときに戦わなかったと。それも良いのです。気ままな人がいました。無辜な人がいました。わたしは彼らに……憧れのようなものを持ち続けて、それはわたしの持つべきものではないと悟っています。グリーンティーが、一滴ペットボトルからこぼれました。わたしは衣服に染み込んだそれを、ぬぐうこともなく、ただ見つめているのでした。明日の夜明けは、明るいでしょうか。それともやはり、暗いのでしょうか。わたしは自分を守ることを、止めようとして、止めようもなく、ただ夢のような心地でいるのでした。すべては悪夢でした。その悪夢のなかでのほうが、幸福なわたしがいます。それを誰咎めることもなく、見守っていてほしいのです。答えは明らかでした。わたしは電車に乗って、バスに乗って、病院へ行きます。薬がさらにわたしを壊すのだと、医者がさらにわたしを壊すのだと、知っていながら。わたしにはなすすべもありませんでした。なすすべもなく、服の上にこぼれたグリーンティーを見つめていました。すべては悔恨と、忘却でした。