紅葉狩り
山人

 2020-10-26 一〇月二十五日、三時に起床しそのまま厨房に入った。単独行者の朝食が五時だったので、余裕を持って作業するためには早起きをする必要があった。とは言っても、グリルで魚を焼き、厚焼き玉子を焼くことくらいで、あとはおかずを盛るのみだった。単独行者の登山者は儲けなど出ないが、同じ山好き同志という事もあり、話し込んだりすることがある。お客さんから、山に関する質問などを受けると喜んで応対する自分がいる。これは複数の登山グループの時には見られないことだ。複数人のグループ登山ではリーダーが存在し、その人を中心に行程や行動計画が決められる。
 雨の朝だったが、単独行者は登山を決行すると言い、なるべく奥の登山口までサービス送迎した。なので利益が出るというレベルではない。
 家に戻り、思案した。一〇月末から十一月頭にかけて山の冬仕舞いをしなければならない。植生保護ロープの鉄筋棒の倒伏と各箇所の道標の倒伏と保管だ。これを怠ると雪の重みで大方曲がってしまう。なので、天気も悪かったが、とりあえず守門岳のみ終わらせたいと思っていた。
 自分のための握り飯を四個作り、二個はさっそく腹に収める。昨日のキノコ料理の残りや、漬物などをおかず入れに放り込み簡単な弁当を作る。汗をかき体が冷えるとまずいので着替えなど詰め込む。妻に行き先ををメールする。
 しかし、厭だ。行きたくない。できることなら家でまったりし、必要な買い物や書店でCDや本などを眺めに行きたい。その誘惑に打ち勝つためにはどうするのか?方法は無いのだが、淡々とその準備をすることで諦めと覚悟が決まる。わずか一〇分ほどの登山口までの車運転時間だが、お気に入りの音源の音を大きくし、いっときの安楽を貪るのだ。
 登山口は晩秋の寂寥があった。当然停車している車は無い。空は鉛色に曇り、幾分だが雨がぱらついていた。雨具を着るべきか、雨が本降りになってから雨具を着るか悩むまでもなく、あまりの気温の低さに雨具を着込む必要があった。
 登りはとにかく早く山頂に着くことを意識し、周りに目もくれずひたすら登ることに集中した。登山口から山頂までの間、コースのすべてを把握してしまっているから、下を見ていても「まだ此処か」、「意外と早く此処に来たな」などと感じることができる。尾根の取り付きまで二〇分くらいで着けるかと期待したが、二十三分要した。普通はここで軽く休憩をとるところであるが、休まず登る。コースタイム短縮を意識すると息が上がり、心臓の鼓動がうるさくすら感じられる。そんな時には、歩をゆるめクールダウンしながら登る。つまり登りながら休むという方法だ。これは、ペースを緩めることで心拍数が少し下がるため、コンスタントに距離を稼げる利点がある。
 見晴らしの良い、テラス状の地形まで五〇分で至ることができれば、山頂到達時間も大分短縮できるだろうと必死で登ったが、わずか数分超過してしまった。この急登でだいぶ息が上がり、ここでゆっくりしたいところであったが、思い切りペースをダウンし、引き続き登った。極端にペースを落としたため、だいぶ息は平常に戻り、心拍数も落ち着いてきた。
 通常このコースは三時間コースであるが、一〇年以上前には一時間二十七分で登ったことがあった。今では当然無理だが、二時間を何とか切ることができればとの思いが強かった。それは四月末に心房細動の手術をし、先週、半年の最終チェックで医師から薬の停止を告げられ、取りあえずは放免されたという経緯があった。その健全な心臓の動きを確かめたいという欲求があった。
 山頂直下には、昨晩降ったと思われる雪がところどころ登山道にこびりついていた。周りはガスで覆われ、私の荒い息が白く見えるのみだった。山頂着、一〇時〇五分、一時間五十五分かかって山頂に到着した。目標は一時間五〇分だったから、五分ロスしたという事になる。
 山頂には五センチほど雪が積もり、まるで冬山のような景観だった。風は強く、とてもここで食事をすることなどできようもない。そそくさと画像を撮りこみ、植生保護ロープが括りつけてある鉄筋棒を倒伏しながら下山にかかった。途中の風の強くない灌木内で、上半身の着衣を脱ぎ着替えた。相当な寒さであったが、期外収縮の残る我が心臓は、健全に血液を送り続け、体温調整のために汗を促したのである。この寒さで二枚の肌着が汗でびっしょりになるほどの運動量を提供してくれたのだ。着替えた衣服は、心地よい幸福感を与えてくれた。
 各所のロープ倒伏や道標の倒伏と格納を進めながら下ると、霧が一部切れ、紅葉のパノラマが眼前に広がってきた。鮮烈な黄、血のような赤、紅葉しない緑、白っぽい黄、ワイン色、オレンジなど、私一人のために壮大な劇場が次々と現れ始めた。月並みな感嘆符を並べ立て、その高揚感はもはや言葉では言い尽くせないほどの美しさだった。あたり一面に繰り広げられる劇場は激情となり、なにもかも許せる心境になる。将来の不安やあらゆる危惧もすべて刈り払われるような世界がそこにあるのだ。
 二合目からは布引の滝へ下る周回コースを下った。最後の平らな登山道ではブナの倒木があった。何年も危険支障木という事で、道を迂回させて管理していた大木だったが、ついに力尽き地面に落ちたようだ。
 車に着いてみれば、結局私は山を楽しみ、景色に心を揺さぶられ、日常の煩雑さから逃れられたのである。
 
 




散文(批評随筆小説等) 紅葉狩り Copyright 山人 2020-10-26 17:47:26縦
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