何となく日々は過ぎていく
こたきひろし

天気予報通り空は晴れ上がっていた。
夜。一人でアパートの部屋に帰ったら間もなく入口と出口を兼ねるドアがノックされた。
彼は独身で孤独感満載な毎日を生活している三十代半ばだった。彼女はいない。出来た事はなかった。
M駅前のパブレストランの厨房でかれこれ八年くらい働いていた。
免許もクルマも持っていなかった。店迄はバスで通っている。

貯金の趣味はなかった。たとえあったとしてもそれができる収入がなかった。給料が安過ぎて、毎日二食しか出来ない。
昼食と夜の食事は店の賄い食だった。それがもし無料でなかったら彼の生活はきっと立ち行かなくなるに違いなかった。それ程彼の生活費用は余裕がなく、ひっ迫していた。

彼が店から与えられた仕事時間は午前十一時から夜の九時までだった。出勤時間は変わらないが退店時間は
思うようにはいかなかった。なぜなら店の営業時間は夜の零時までだったからだ。最終バスは十時だったから、それ迄には配慮されて帰されたが、どうしようもなく忙しい時は帰れなくて最終バスを逃す羽目になる。そんな時は理不尽にもタクシーを拾うしかなかったが自腹になってしまった。滅多にないが、それを店に請求出来ない気弱さが彼にはあったし、たとえしたとしても店はそれを素直に払わないだろうと言う理不尽さがあった。経営者は懐の狭いケチをいつも見せつけていたのだ。

その日は普通に定刻にあがり最終バスに乗っかって帰宅した。
彼か疲れた足で自分の部屋に入ると間もなかった。お隣の部屋から住人が出て来ると
そのまま彼の部屋のドアを叩いたのだ。
 夜にすいません。ちょっとお伺いしたい件が有るんですがよろしいでしょうか?
女の声が言ってきた。隣は母親と成人した娘の二人住まいだった。母親と思われる声音が声をかけてきた。
 はい?
一言、彼は返事はしたが直ぐにドアを開けるのは躊躇した。
 用件は何でしようか?
恐恐に聞いてみた。すると女は言った。
 外で話すのは気が引けますから開けて貰いませんか
と言ってきた。ただ事でない空気を感じた彼はドアを開けた。
お互い会話したのは初めてだが何度か見たことはある。品を感じられない年配の女が立っていた。
 変な事聞きますが、私の娘の下着を知りませんかね?
何のオブラートにも包まないでいきなり言ってきたのだ。
 パンツ一枚なんですけど無くなってしまいました。もしかしたら知らないかと思いまして?
言われて彼は即座に否定した、知りませんが!声を強めて言った。知っていたら犯罪者にされてしまうからだ。
 今なら誰にも言いませんよ。正直に話してくれるなら、ですが。
女は優しく畳みこむように言ってきた。彼はその物言いに縫い針を刺されるような怖さを覚えない訳にはいかなかった。責め立てられているようで、言ってしまいそうになった。なりながらそうはいかないと断固否定した。
 知らないよ!出てってくれ!
と怒鳴った。俺があんたの娘のパンツを盗んだとでも言うのか!と続けながら全力で追い出した。
もし、この騒ぎを周囲が聞いて誰かが警察に通報でもしたら大変になると恐怖になりながら必死になった。

第一あれは俺は何も悪くない。彼は思い返しながら、反面自分を叱責した。
叱責しながらも必死に弁解を重ねる自分が、彼の中に存在した。
盗んだんじゃない。何でか知らない。部屋の前に落ちていたのだ。
そのままにしておいたらとんでもない事になると拾うしかなかったのだ。
拾得物として交番に届けたらきっとあらぬ疑いがかけられると思った。
ましてや持ち主かも?と思われる隣りの部屋の住人に持って尋ねたら、確実に変態扱いされて通報されるに違いない。

バンティ一枚。女性の秘部を包む布だけに絶大な効力を持っていたのだ。

それは魔物だ。魔物以外の何物でもない。包む中身を超越し、男を狂わさる。


散文(批評随筆小説等) 何となく日々は過ぎていく Copyright こたきひろし 2020-10-03 08:38:06
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