雨はきらいじゃない(落ちの無い話)
山人

 大白川登山口に着くと雨となり、当然誰も居なかった。レンタル簡易トイレがのっそり立ち、周りには雑草やらススキが生い茂っている。雨は次第に本降りとなり、雨具を着る。
今日を逃がすと次回はいつ行けるかわからない気がしたので、雨でも行くこととしていた。雨は嫌だ。ザックにカバーをし、自分の体も雨具で覆わなければならない。歩き出せば、すぐ自らの熱で皮膚は蒸れ、汗が噴出してくるに違いないのだ。だが、意外に悪くない。体調に不安があったが、そこそこ悪くは無いなと思いながら登る。
二〇〇メートル近い標高差を登ると視界が開ける。未だ健康とは言えない体を石の上に投げ出せば、傍にヤマツツジの群落があった。雨の水滴がふるふると揺れ、若い葉も雨を得てうっとりと瞑想している。休んでいると心拍数は次第に落ち着き、七〇前後になった。雨なのに遠望が利く。山頂もはっきりと見えていた。
 途中二ヵ所ほど補助ロープとザイルを垂らし、雪渓のある分岐で道標を立て埋め戻した。雪はかなり融け、下の固い雪が露出し、滑ると滑落の危険がある。こんな雨の中、三名ほど山頂に向かう足跡があった。私は一気に萎えた。なぜなら、この雨の中、山頂に至るものなど皆無な筈で、山頂と二人きりになる事を求めていたのだった。そこに先行者だった。
雨のふくよかな空間と、むかえてくれるだろう頂きの冷気が私は欲しかった。 山頂に向かいつつ、徐々に行く意味も薄れ、私は山頂との密会を断念した。
 帰りのコースは、もうだいぶ歩いていないコースを下ることとしていた。登山道は他者によって広く刈られていたが、支障木は多く、細かい作業を雨の中ずっと続けた。めったに通らない不人気のコースなのかツキノワグマの糞が転がっている。山菜でも食ったのか便が青っぽい。こんな人気のない登山道では獣たちの往来の方が多いのだろう。獣たちの往来の為にも残しておかなければならない道なのかもしれない。
 だいぶ前に何回か通った道ではあったが、随分と記憶がなくなっていてずいぶん長く感じてしまう。チェーンソーは雨で不具合となり、下着は汗と蒸れと雨とでおびただしく濡れて気持ち悪い。雨は霧を伴い、ザックも次第に開け閉めしている間に濡れてきて、体と衣服と心までも雨と一体化してしまっていた。体全体とそれを包む物達が混然と雨に濡れていた。その気持ち悪さの中でも作業は続けられ、機械音は最後まで鳴っていた。 


散文(批評随筆小説等) 雨はきらいじゃない(落ちの無い話) Copyright 山人 2020-06-14 17:26:33
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