粉机
竜門勇気


粉机はわたしの生涯において最も哀れで独善的な師であり唯一の子でありました。
告白しますが、わたしは故意ではないにせよ人を一人殺しております。
新聞では事故となされておりますが、その方を殺したのはわたしであります。
話がそれてしまいました、申し訳ありません。
粉机は、わたしの師でありますからその出会いを述べましょう。
ある日のわたしは半ばまで膝に浸かる水路を歩いていました。わたしはそういった人間であるということ以上にその意味はありません。
濁った水が澄んでいる場所に足を踏み入れて、水路に流れる水がそれを押し流していくさまが大変面白く感じていたのです。
季節は夏を過ぎ、秋の気配は濃くなんなら冬の初めと行っても良かったかもしれません。
10月になっていたか、その寸前のようなそんな日であって流れる水は冷たく、ひどい不快な気持ちが押し寄せてはいました。
しかし、わたしは冷たく流る水は非常に潔白なものであると信じておりますので、その一筋の水の中に我が身を打ちつけていたのです。
そこでしばらく立ち尽くしていたわたしですが、やがて震えが膝から耳の上まで上り詰め体がうまく言うことを聞かなくなってしまったものですからしばらく身を休めようと、用水路の脇のやけに細かく崩れた砂利の散る道にすがるように登りました。
靴の中にまで冷え切ってしまった水が満たされていました。わたしの中身はなんの価値もないゴム球であってそれを靴や上着が覆っているだけのように思えました。
そしてそのときそれは真実であって、わたしと上着や靴の間にはただどちらにも拒絶されたごちゃごちゃとしたあぶくになった水がねっとりと洗い流すこともできずに在るのです。ただ、在るのです。
やがて日が暮れてまいりました。
夕暮れはわたしの周りをまたねとねとした、履き古した靴で死刑台に登るようないやらしい人懐っこさで包みましたから、あまりに驚いてしまって川面を見ました。
水路には騒々しく波紋が広がって、見るからにどこでも生きていけそうな水草のたぐいが蔓延っています。
そこにはわたしの知っているものとは別の力強さもあり、感嘆していました。
そこに粉机がゆうゆうと泳いでいたのです。
わたしはこのように粉机が泳ぐとは知りませんでしたし、そのような光景を二度と見ることはありませんでした。
あっけにとられて見ていると、用水路にかぶさるようにおごる木の枝からカマキリがぽつ、と落ちました。その瞬間粉机は途端に悠とした泳ぎをやめ弾いたバネのようにのたうつようにしてぐび、と寒さにかじかんだカマキリを飲み込みました。
そしてわたしの目を見ました。あんなに深く目を見るのは赤子が試すときと師が許すときだけでしょう。
ですから、あの粉机はわたしの赤子のように愛おしく、師のようにわたしを愛していたのです。

かつてどの海岸にもいた粉机が海を捨ててこのような物語はもう生まれないでしょう。

僕の先生は教室の窓のカーテンを大きな音を立てて引いた。
ずっと禁忌だった窓の外を先生は見た。
僕も少しだが見た。先生は窓の外へ飛び立っていった。その両腕は鳥のようにも腫れ上がった肉にも見えた。彼の赤子と師は喜び勇んで啄み始めた。


散文(批評随筆小説等) 粉机 Copyright 竜門勇気 2020-03-25 00:04:13
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