曲がった根性
田中恭平

 桜からは微量のアンフェタミンが放出されているらしい。だからあんなにも儚く我々をウキウキさせるのだ、と思うと、今後の桜の開花に期待する。
 日本の作家が書いたようには、桜の下には死体なんて埋まっていないし、寧ろ、桜の下でわきあいあいとウキウキと写真をとったり、酒を飲んだりする慣習の人間こそ幽霊なのだ、と書けば、じぶんがどれだけ根性の曲がった人物か見えてくる。だから、やっぱり桜の下に死体は埋まっていていいのだ。

 わが市の文化事業である「市民文芸」の授賞式は中止になった。ころなウィルスの影響であった。わたしは短歌部門で市民文芸賞、詩の部門で奨励賞であった。授賞式中止はざんねんなことであるが致し方ない。「市民文芸」に応募される多くは「病老死苦」をテーマとしたものである。わたしはこれらのアンチテーゼとして歌を詠み、詩を書いた。語弊なく書けば選ばれて当然ではなかろうか。だったら、何も授賞式の開幕や中止に一喜一憂することはない。
 大体わたしは文化事業が好きかといえばそうではない。ただチルドレンのように甘ったれているわけではない。すべては学習の為だ。結局詩では奨励賞どまりだったじゃないか。

と、どこまでいってもじぶんが曲がった根性の人物であることが知れる。この考えは狡いのではないかと思えてくる。

 現代詩手帖という現代詩の専門誌がある。懸命に発行されていることはわかる。ただその対談なんかを読むと、語られている対象についての基礎知識がおそろしくひつようで、会話はあっちへとび、こっちへとびするから、わたしのような門外漢には一体何が語られているのか中途わからなくなり、文系の悪ノリ、つまりマニアックな会話という判断が下る。それで読むのは新人投稿欄というところへ落ち着くが、そもそも詩が嗜好品であり、それを楽しむというのならば、わずか数篇の新人作品より、インターネットで多くの詩に触れた方がいいという判断が起きて、図書館で借りた現代詩手帖はついに不要となり、返却ボックスのなかに入れられる。ぽい。

 さて、これは曲がった根性からくる結末であるのかどうか。と、いうのも、じぶんはその新人投稿欄に詩を投稿してみようかな、と考えたことが過去にあるからである。何よりチャレンジが大切であるが、結局投稿していないじぶんは狡いのではないか、いいや、詩のサイト、現代詩フォーラムには投稿している、毎日のように筆力を鍛えている、というところに落ち着いて、なかなか行動に移せないのである。

 愚痴のような文章になった。じぶんが恥ずかしい。まあいい、現代詩手帖をディスった形になったがすべてはわたしの教養のなさである。愛読者には失礼申し上げました。



散文(批評随筆小説等) 曲がった根性 Copyright 田中恭平 2020-03-22 05:21:45
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