煙草
田中恭平

 約十年間煙草を喫ってきた。わたしは十九で専門学校の男子寮に入り、高校生のときから喫っていたTにすすめられて、マルボロのライトを一本喫ってみた。それが地獄の罠なんて知らずに。最初の一本に気持ち悪いとか、吐き気とか頭痛はなかった。たぶん色々な添加物が加えられていたのだろう。当時から不安症のケがあって、煙草を喫うとそれは収まったので、すぐに自分のお金で買うようになった。時効だと思うが正直に書けば十九から喫っていたが、周りは皆その年齢、或いはもっと前から喫っていた。喫煙とは子供のすることなのである。

 その後、バンドやミュージシャン、歌手のリハーサル・スタジオで勤めるようになって、そこで深夜番をやるようになって、ぐっと煙草の量が増えた。ともかく眠気を飛ばさなきゃならない。煙草を喫うことに必死で、その日の売り上げの回収を忘れたこともある。そのときはラッキーストライクを喫っていた。元・村八分のギタリスト、山口冨士夫が喫っているらしかったからだ。ほんとうのところは知らない。その内、深夜番でない日に夜、眠れなくなった。不眠症になってしまったのだ。煙草の、百害あって一利なしの百害の一つだ。

 当時は下神明のアパートに住んでいた。朝日のグラデーションの中を始発から何本目かの電車を眺めながら、にっこりしながらラッキーストライクを喫っている俺。馬鹿の極みは当然ギリギリのところで生きている。統合失調症を発症し、自宅に帰った。じぶんのへやのベッドで丸々二日間眠った。

 統合失調症が酷いときは、そちらに気をとられ、禁煙なんて考えられなかった。余談だが煙草をすすめてきたTは福島出身である。近くに原発があると繰り返し話していた。Tのその後は神のみぞ知るである。

 生活リズムを安定させる為にデイケアに通所するようになって、ラッキーからエコーに鞍替えした。お金がなかったからだ。みんな、みんな、エコーを喫っていた。エコーは紙のパックなのでたまに床に数本落ちていることがある。カラオケだけが唯一たのしみなデイケア、ツルツルの床に落ちているエコー数本は陽で光っている。わたしはさいきん、エコーが値上げしたことを知った。

 わたしは禁煙外来に通ったのだが、一年もたなかった。ただ一時期はクリーンな生活を習慣化できていたので、今そんなに喫煙欲求はない。精神的依存は「リセット禁煙」という本を七回読んだことで解消できた、と思う。いや、しかし今でも図書館に行っては灰皿をのぞいてしまう。そこには全然喫われていないシケモクがある。どーせ喫うなら根っこまで喫えよ、もったいない。と考えてしまう。そしてあれこれ考えて、やはり煙草は不思議な存在だとおもう。

 もうすぐ禁煙八日目である。禁煙パッチによる禁煙で、転職したいま、自由に喫えない環境なので、どこか安心している。

 もう若いひとは煙草を喫わず、スマフォをいじることに熱心だが、コンビニエンスストアの前で、本当に育ちの良さそうなお嬢さんが、ピース、強い煙草だ、を、スパーっとやっているときにでくわした。何か不思議な光景を見ているようで、メモに書き留めた。



散文(批評随筆小説等) 煙草 Copyright 田中恭平 2020-03-19 18:19:28
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