幽霊船
おぼろん

 北の国には幽霊船がいるという。誰もそれを見たものはいないが、晴れた日には沖合に蜃気楼のようなものが立ち上がる。それが幽霊船だという。幽霊船は千の魂を積んでいく。幼くして亡くなった者、戦争で命を落とした者、疫病に倒れた者、天寿を全うした者。そこに境目は存在しない。幽霊船には操舵士も航海士もいない。何を動力にして動いていくのだろう。それも誰も知らない。幽霊船に乗り込んだ者は、その思いや理知を徐々に失っていく。あるいは死者たちの魂を動力にしているのが幽霊船なのか。時にはオーロラの光を受けて、時には流星群を浴びながら、幽霊船は生者たちがまだ見たことのない土地へと進んでいく。それは地球の裏側にある土地なのか、それとも地球の内部にある国なのか、それとも天空に浮かぶ城であるのか。幽霊船であればどこへでも行けるのだろう。幽霊船が生き物のようなものであれば、「それ」は死者たちの魂を喰んでいるのかもしれない。もう自らの意志では動けなくなった魂を。幽霊船がたどり着く場所、それは幽明の国。死者たちは安らかに蘇る。ある時、沖合に数百の幽霊船が浮かんでいるのを、目にしたと言った者がいる。その者は人々の前から消えて、以後どこにも現れなかった。人々はどこかで疫病があったのか、あるいは戦争が起こったのかと噂しあった。それでも幽霊船は進んでいく。この世の国とは関係なく。幽霊船は生者の国に干渉をしない。幽霊船には目的がある。それは死者たちの魂を運ぶという使命だ。まだ見ぬ土地に辿りついた時、ある者は女として生まれ変わり、ある者は男として生まれ変わる。生きていた時の恋も悲しみも、そこには存在しない。誰かがその人生に介入することもない。幽霊船はただ在り、ただ在ることだけで存在をしている。あるいは存在を許されている。死者たちの魂を運ぶ幽霊船は、今では失われてしまった国を目指しているのかもしれない。遠い過去にはあった国を。死者たちの魂は黄菅のように揺られる。彼らが悲しみの涙を流すことはない。喜びの表情に顔をほころばせることも。南の島に住むわたしたちの心の目では、幽霊船は見ることができない。極北の地から、時折下りてくる蜃気楼を目にすることができるだけだ。北極星の位置を見れば季節が分かる、と人々はいう。ある国からは冬が失われ、ある国からは夏が失われたから。幽霊船は自然の理に反した存在なのか。そんなことも気には止めないのだろう、それは。ただ、朧げに蒸気のようなものを吐き出しながら、異界の地へと進んでいくのだ。幽霊船の中には神も宗教も存在しない。人々の噂話に過ぎないが、それも本当のことかもしれない。であれば、科学も存在しないのだろう。幽霊船を見たいと願った青年がいたが、その者は心を狂わせてしまった。あるいは魂だけが幽霊船に連れて行かれたのか。そんな者たちが大勢いる国もある。誰が探求しても、何を学んでも、幽霊船の謎は解明されない。この世の仕組みとは別の仕掛けで、幽霊船は動いているのかもしれない。そして伝承だけが残る。幽霊船の歌を誰かが歌った。人々は彼のことを狂人と言い習わした。この世では吟遊詩人だけが幽霊船の歌を歌うことができる。幽霊船の呪いからは解き放たれているのだろうか、彼らは。しかし彼らは土地から土地へと渡っていく。誰も吟遊詩人の歌を聞き続けることはできない。そうして時が経てば忘れ去られていく。時折、ほんの時折、はるかな沖合にははかなげな蜃気楼が立ち上がる。それを目にして、人々は幽霊船の噂話を立てる、しかもこっそりと。沖へ沖へと舟を漕ぎだしても、しかしそれに辿りつくことはできない。蜃気楼は遠ざかるばかりだ。中には波に飲み込まれてしまう者もいる。かつて男だった者、かつて女だった者の魂を乗せて、幽霊船は進んでいく。誰もそれがどこへ行くのかを知らない。誰もそれが何のためにあるのかを知らない。きっと神からは見放された者たちだけが、幽霊船を動かしているのではないだろうか。彼らは幽霊船と一体になって、北の国に住まう。オーロラが彼らを見守る。流星群が彼らの糧となる。今日もまたどこかの海に、幽霊船は浮かんでいるのかもしれない。報われない者たちの魂を乗せて。あるいは報われた者たちの魂を乗せて。こんなことは忘れてしまうが良い。あなたたちの誰も、今は幽霊船に乗れはしないのだから。そして幽霊船に乗せられた時には、何もかもを忘れ去っているのだから。この世の理も、条理不条理も、悩みも悲しみも、喜びも憂いも。ただ、北の国には幽霊船がいる。吟遊詩人である「わたし」は、人々の間にこっそりと噂話の種を撒きながら、やはり幽霊船と同じようにさまよっている。


自由詩 幽霊船 Copyright おぼろん 2020-01-29 11:46:31
notebook Home 戻る