Happy Birthday
塔野夏子

あの夏の朝に 私が見たものは何であったか

まばゆいかなしみがほとばしり
そして私は そのまばゆさのままに
一心に 泣いたのではなかったか

       *


 あ あ
    あああ
これは夢の中の昏さです
誰か 応えてください
このかたちのない昏さの中の
標をください
あ あ
 ああ あ
  ああ
     あ

       *

ちがうちがう
数えきれないノイズ
をかき分けて泳ぐけれど
さかなのかたちにはなれないまま
ただ心は云いつづけている
ちがうちがう
これじゃない ここじゃない
けれどノイズは
増殖をやめない

       *

充溢した箱庭
空虚な箱庭
充溢した箱庭
空虚な箱庭
の市松模様

       *

もう忘れ去られたメッセージと
未だ届かないままのメッセージとが
はるかかなた うす青くさびしい空間で
ひそやかに 口づけをする

       *

祝福された午睡の中に滴る蜜

       *

僕は遊歩する
遊星の上を遊歩する
遊星は 僕を乗せて
座標にあらわし得ないところへと
遊離してゆく

       *

さあ ここへおいで
目の前には あふれる花と果実
頭上には みずみずしい星々
そして何よりも とっておきの贈り物は
その白い箱の中に入っている
あけてごらん
極上の 純粋な 忘却だよ

       *

かえりたい
どこへ
わからない でもたぶん それは遠い処
ただひたすらになびく せつないなつかしさ
いつからか心に流れる かすかな歌
かえりたい
どこへ
わからない それはもう かえれない処なのかも
しれない それでも せつないなつかしさが
ひたすらに たなびきやまないから

       *

薄紫の結界の中で
壊れてしまった玩具の天使を眠らせる
ひしゃげた光を放つ
灰色の月が視ている

       *

絵を喪失した額縁たちが
ただ何も云わず 街路を行進してゆく
絵たちはどこへ喪われてしまったのか
それをもう誰も 問うこともない

       *

君が居る
君が君であるままに
まじりけなく其処に居る

そんな君に対峙するには
僕の持つ仮面の数は
あまりにも多すぎる

ただ其処に君が居る
そのことだけを
ただしずかに心に映す

       *

夏が歌うから
私たちも歌いながら歩いた
夏の歌は まるで終わりがないようで
それでいて最初から
美しくものがなしい終わりに満ちていた

       *

おそるおそる触れる
そっと触れる
手のひらでではなく
指さきででもなく
この心の
いちばん繊細微妙な
やわらかいところで
祈りのような気持ちで
そっと触れる
震えながらそこにある
たましい という言葉に

       *

青いしずかな夜明けです

別れを告げるのに なんとふさわしい情景でしょう

私は手を振ります

さよなら

さよなら 私

また逢う日まで

もうひとつの誕生日が

この世界に降り立つまで




自由詩 Happy Birthday Copyright 塔野夏子 2019-08-03 11:22:14
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