ドライ運河

タイトルが良い作品は何度だって読みたくなる
別に詩に限らずなんだってそうだ
映画でも音楽でも小説でも
タイトルが良いというのは
それだけで素晴らしい
インパクトのあるタイトルも好きだ
シンプルなタイトルも好きだ
考えさせられるタイトルも好きだ
意味不明なタイトルも好きだ
というか、
読む前に真っ先に目に飛び込んできて
読み終えてすぐに確認しに戻りたくなるタイトルは
すべて好きだしすべからく素晴らしい

建物でいうなら外観にあたるのかもしれない
東京タワーが東京タワーの形をしているってことが大事で、
むき出しの骨格標本みたいで崩れそうな妙にでかいあばら屋の
真ん中だけくり貫いたような、そんな建物なのに
近づくとやはりでかい
中に入るといっとう高い
想像よりずっと人だらけで景色が綺麗で
言わずもがな入場料もばか高い
でも帰りにちょっとだけ振り返って見る東京タワーは
なんかこう違う感じがする
魔法が解けたというかメッキが剥がれたというか
お互い付かず離れずの距離感になったというか
外見は同じなのにちょっとだけ違っている

ディズニーランドに遊びに行って
最初にシンデレラ城を見たときに
ああこれだなと思った
夢やら幻やら魔法やら
なんでも今の俺にはかかるなと思った
スーパーボールみたいに隣で娘が跳ね回っていたが
俺もゴム鞠のように弾んでいた
バレバレで呆れられていたのにムードには逆らえない
帰りに振り返ってチラっとお城を見たときに
なんていうかな、これは本当にズルいなと思った
入って出て行くだけただそれだけ
建物なんてみんなそうだ
にも関わらず
出て行くときにどんなとこにいたっけ?と
わずかに振り返ってみると、どうしてなのか感慨深くなるというか
錯覚なんだろうけどそんな気がして
物語に没入するのも
詩にやられてしまうのも
読み終わった後の余韻にタイトルが、表題の文字が染み込んでくる
そんな瞬間があるからたまらなくなるわけで
雨が降って地が固まるわけで
門をくぐったころはあんな大きかったのに
出て行く頃には随分とちっちゃくなってしまうわけで。



はこれからそこかしこで咲き乱れて
少したてば忘れ去られて緑色の姿を晒すんだろうけど、
桜がなんでこんな好きなのか俺にもよくわからないけど、
色んな桜を見たいし読みたいし、
なんだよ桜とかありきたりかよーって思う桜もあれば、
桜だなんてズルいなあ、なんというか、ズルいとしか言えない存在だと思うときが毎年必ずやってきて、
どれだけ候補を募っても、たった漢字一文字に何もかもが集約されている気がしてしまう。
視線を上げればアーチを作り、濃い影の下で花びらに晒されて翻弄され
取り繕った態度など霧散しては浮かれている自分がいる。

しかし...、これだとタイトルが一文字でも中身次第で
どうにでもなるって話になってしまうわけで
書き出したときにはタイトルのオリジナリティを
重視したほうがいいぜ!みたいな方向性で打ち出していこうと思ってたんだけど、
なんというか結局中身と合っていればいいぜ!
という話になりかけているのが自分の思慮不足のなせるところか。
言いたいことは単純に、タイトルが良いと読みたくなるし
読んで中身も良ければもっとタイトルが良く見えるし、
タイトルが勝手に歩き出して誰かの生活に入り込んでしまうかもしれないし
ストックしておけばいずれ何かを引き出せる材料にもなるかもしれない、っていうことになるのだろうか。
タイトルって短いからこそ、俺みたいな人間は妄想をフル稼働させちまうわけで、
そんでまあそれにも限度ってものはあるわけで、
もし中身も珠玉だったら、相乗効果でとんでもないことになるなあ
そんな瞬間を掴まえたらどれほど気持ちいいんだろうなあとか、
毎日毎日考えてしまう。いつか掴まえたいものだなあ。
書いていけばそんな瞬間がやってくるのだろうか。


散文(批評随筆小説等)Copyright ドライ運河 2019-02-18 23:01:12
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