ポンペイにて
春日線香

待合室でテレビを見ている。様々に体を病んだ人々。肩。頭の中の狂い。テレビではスポーツ選手の病のニュースがとめどなく流れている。ペットボトルを傾けて濁ったカフェラテを飲む。喉の奥に甘い液体が流れていく。二千十九年午後三時。



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相手が何を言っているのかわからなくなる。口の動きが空中に溶けて、おもちゃみたいな青い梯子に巻き付いたかと思うと、痩せた足だけの存在になって上り下りする。不思議なこともあるな、と思っていると、徐々に世界の温度が下がり始める。



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象の肉をスプーンですくって食べる夢を見る。少し甘くてやわらかい。象は目を細めて気持ちよさそうにしている。鼻を伸ばして池の水をさっと一振りすると、飛沫が陽の光を反射してきらきら輝く。眠っていた他の動物たちも寄ってきた。



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十字架の形の庭で雑草が風に吹かれている。どこにも入り口がなくて随分長いことほったらかしにされている。赤いシーソーが風に揺れていて、赤いというのは錆でそうなっているのだが、ぎいぎいと鳴っているらしい。ここまで聞こえてくる。



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ベランダから猫が落とされている。落としている人の顔は影に沈んでよくわからない。あれは増えすぎた猫を間引いているつもりなのだろうか。落ちた地面で死にきれずに鳴いているものが大半で、中には無傷で走り去っていくものもあるようだが。



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掘れば掘るほど水が出てくる。時々、茶碗の欠片が。疲れたので駅舎を迂回して水飲み場に行くと、全ての蛇口が開け放ってあって、その下にみすぼらしい植木鉢が並んでいる。どの鉢にも泥が詰まっている。どの鉢にも白い虫が蠢いている。



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食うことと生きることは同じではないだろう。働くこともたぶん別問題。ポンペイを描いた絵の中で、人々はどこまでも幸せそうだ。用水路には白いザリガニが繁殖している。腹の破れた魚が死なずに泳ぎ続ける。



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風の音だけだ。目の端に現れた黒点がじりじりと眼球を横切る。なにか饐えた匂いが漂っていて天井はやけに低い。首から腰までの接続がわずかにずれて調和を乱している。窓枠に限られた空に月が四つも散りばめられ、彼方で橋が静かに燃える。



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終わりそうで終わらない長い夢。換気扇の中には姉妹が住んでいて、朝になると這い出てきた痕跡が残っている。写真に撮ったこともある。なんともいえない泣き笑いのような顔をして、二人とも子供なのにひどく年老いている。もう死にそうだった。



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半分欠けた男がそこにずっといる。少しバランスを崩した姿勢で片手を上げて頭上を指している。空にはくっきりと飛行機雲が走り、昼の月が静止している。写真の隅に写り込んだような彼を、カラスも雀も、配達のバイクも突き抜けて、平然と暮らしている。






自由詩 ポンペイにて Copyright 春日線香 2019-02-17 06:32:20
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