編集後記
よーかん

たまに、何かに苛ついて、日本に向かって文句を書き連ねてしまうことがある。この小説はまさにその典型で、左翼的な学生達が昔使った言葉で言うところのルサンチマンが原因だ。ルサンチマンなんて言うと高尚な言葉のように錯覚してしまうが、英語ではリゼントメント(resentment) 、単純直訳すればただの恨みである。リゼントメントしか内包していない苛立ちを、情報を重ねることで自己正当化して、よくあるあれだ、他人のせいにするを実行し、日本社会に対する文句をダラダラ書き連ねている。それだけの文章だ。やるべき事は考えるまでもなく、資金をためて何処にでも先進的な意識改革が進んでいる国に移住して人生を謳歌する、それだけだ。これはただ単純に自分が無力なだけだと認める勇気もない、そういったオトコが書いた長いだけの愚痴である。こんな自分に気づくたびに宇津救命丸でも噛み潰したような苦い気分になる。作品を装い愚痴なんて不健康極まりない行為だが、確信犯であるのだからしょうがない。しょうがなくはないだろうなんてツッコミも予想してのコメントであるとも理解してもらいたいが、それは甘え過ぎである。でもめんどくさいからこの下りもそのまま消さないで先に進む。まったくしょうがない野郎だ。虚しい?こういう時ほど虚しいとかそういう気分にもなれないのがこうゆう時のジレンマだったりもするのだが、思い当たる人はいないだろうか?虚しいなんて感傷的で贅沢な言葉は、自分を誤魔化している時にしか使わないものだ。ダラダラ書いてしまうのは、キーボードと文字変換のコンビネーションのおかげで、カタカタやっているだけで思ったことが文字となって出てきてしまう不幸な世界に生きてしまっているからなのだが、それはほぼ全てのネット民が共有している現象なのだから、やっぱり未熟な自分のせいなのだ。技術革新万歳!どんなアホでも発言力を持てる世界でまったく発信力を発揮できないのだから救いようがない。SORRY。恥ずかしげもなくダラダラ書いているが、この上また恥の上塗りをしてしまおう。ただこうやって書いて行くのがワタシの趣味なのだ。こういった文章を書き連ねるだけで、どんなことをするよりも気分が楽になってしまうから不思議なものである。反省なんてしているはずがない。全てただの反省のフリだ。こういうのをいつかまた読んでしまったら、そうやって笑ってもらえるとありがたい。でも、生真面目に読むべき文章ではないなと始めの数行で気づけなかったアナタだけが、この世界にあって、とても貴重な優しいヒトであることは間違いない。


自由詩 編集後記 Copyright よーかん 2019-02-16 09:53:56
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