『貧乳が添えられている』 渡辺八畳@祝儀敷 感想
一輪車

『貧乳が添えられている』 渡辺八畳@祝儀敷
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=617;uniqid=20181217_365_10956p#20181217_365_10956p
渡辺八畳さんのこの詩は文学極道12月佳作に選ばれているのですが、読んでみてこれが、
優秀作に選ばれなかったのが意外におもえました。
詩というものが制御不能な心の叫びであるとするなら、これはいかにも詩らしい詩だと
おもうからです。
これに比べれば優秀作に選ばれた完備さんの『or』は一見、現代詩風な転換が矢継ぎ早に
展開されていますが、転換というのはほんとうは散文小説的操作であって、詩として『or』と
『貧乳』を比べれば遥かに後者のほうが詩的な価値をもっているとわたしはおもいます。

さて渡辺さんの『貧乳が添えられている』ですが、
この詩の作者を一言で言うとそれとは知らずに無防備に、素っ裸のまま大手をふって
表通りを歩いている男のイメージです。
道行くひとが心配して「寒くないですか?」「怪我しますよ」と声をかけても、
「な~にをいってんだよお、おれサマに何か用か」と意気揚々とフルチンで歩く男。^^
そういうイメージが湧いてすこぶるケッサクでした。

わたしのパソコンのディスプレーは27インチですから、この詩は一望のもとに見渡せます。
さっと流して読んで言葉の配列と単語の意味を汲み取って全体を眺めると
絵画のように目にとびこんでくるものがある。
それはなにかというと、

  家族の(性の)見取り図

です。
そのあまりにもあからさまな母親(&父親)との関係性の吐露がびっくりさせるし、凄いなとも思うのですが
それをちゃんと自覚し、統御して書いているのかどうかは疑わしいのです。

平川さんの小論を批判したときも言いましたが、わたしは身体的な障碍や不如意には文学的意味を
見出さないから、「貧乳」という語彙に差別的な意味は見出さない。一方、
コメント欄のコメントは作品ではなく生活しているひとのナマの声だから「貧乳はキモい」と書けば
差別と受け取る人がいて当然なわけです。渡辺さんはそのあたりの弁別がまだわからないから、
わたしに知的障害者を汚物のように語るコメントを「差別だ」といわれて憤慨している。
もちろん"文学作品"の表現としてはそんな論議は不毛なのですが。

さて、この詩は発育不全ともとれる貧乳の女性をトルソのように描いているわけですが、ここで
トルソというのは、「まるで丸太のように」という意味ですが。まあ、丸太でもなんでもいいのですが
そのトルソのように描かれている全体が「家族性」の隠喩なわけです。
「家族性」なんて聞き慣れないでしょうが今思いついたのです。^^
生化学用語としては使われていますが、わたしの場合は「対幻想」と言い換えてもいいです。
でも「対幻想」だと二者間、恋人との関係とか夫婦の関係になりますから、あえて
「家族性」といわせていただきます。
つまりこれは父親の権力性、母親の母性、そして書き手の心的去来性をあらわしている。
「心的去来性」というのはこれも今思いついた造語ですが、たぶん作者の心の原風景ないしは
その心の一番中核をなす意識の原風景とでも言い換えればいいとおもいます。

女体、とくに乳に注目して描くというのは作者と母親との性的関係性ないしはそこから副次的に生じる
父親との権力的関係性を暗に示唆しているとおもいます。
(「性的関係性」といっても近親相姦とかそういうポルノの話じゃないですよ。^^)

わたしの想像ですが作者の母親はたぶん父親の心身の衰弱を哀しんでいるのでしょう。
乳が出てきているのに何故、父親なんだというかもしれませんが、乳の衰弱=貧乳表現というのは、
現実生活における父親の心身の衰弱のことであると考えていいとおもいます。
そういうものが作者の家庭の原風景としてあるのだと考えます。

重篤な病気や経済的行きつまりのようなものかもしれませんが、それが原因であるとしても作者のなかでは
一種の権力性的な衰弱として捉えられ、それが母親の仮象である"貧乳の未発育女性像"として描かれているのでしょう。
もちろん、作者本人はそんなことに気がついていないとおもいます。

これを家庭内の親子関係図としてわかりやすく示すと
母親(の仮象である貧乳の未発育女性)が夫の衰弱を嘆いているのだけど、母親の代弁としてそれを作者が語り、
その事態に対してどうすることもできない、ということになるとおもいます。

  しゃぶりつきたい 水が流れるよう
  無限への真理を秘めている乳房から
  白銀の孤を描く腰を巡って
  かわいらしく膨らんだ臀部まで
  そうしてこの女に声をあげさせたい
  僕によって嬌声をあげさせたい
  だけど届かない

これは作者が、作者の母親である妻の夫に対する願望を代弁して語っているのです。そして冒頭一連の

  あんなにかなしく寝たあとに
  薄暗がった気持ちで瞼をあけると
  あばら浮く貧乳の女がベッド脇に添えられていて
  触りもせずに 泣きたくなった

この語りは作者の幼少期の記憶と重なる漠然とした不安のようなものが前奏されているとみます。
ラストの女が失禁する描写はそれほど意味がありません。母親の哀しみの象徴のようなものでしょう。
この詩がおもしろいとすればそういう家庭の性的、権力的な見取り図を雰囲気をもって書き上げているところで
しょうか。
でも、コメントのほうがもっと面白いし、芦野夕狩さんのトンチンカンな選評のほうが笑えるでしょう。
それにしてもこれは佳作ではなく優秀賞であってもおかしくない独特の雰囲気をもっていますから、
選評のほう、ちゃんと読めているのか気になるところです。^^


















散文(批評随筆小説等) 『貧乳が添えられている』 渡辺八畳@祝儀敷 感想 Copyright 一輪車 2019-02-13 11:07:38
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