最後の一羽
やまうちあつし

リョコウバトはハト目ハト科の渡り鳥である。鳥類史上最も多く生息していたとされ、一時の個体数は、五〇億羽に上ったといわれる。

巨大な群れをつくるのが特徴で、二二億三〇〇〇万羽以上が推計された記録もある。ある人の日記によると、頭上を通過中のリョコウバトの群れが、まるで空を覆い尽くすかのように三日間途切れることなく飛び続けた、ということだ。

その数が減少したのは人間による乱獲が主な理由だが、端的に言って、美味だったのだ。

先住民も移民も同じようにその肉を食用とし、都会では良い値段で売れた。人々は銃や棒を使用して捕獲を行った。一九世紀に入り電報などの通信手段が発達すると効率的な狩猟が可能となり、乱獲は加速した。

一八〇〇年頃を境にして生息数が減少し始め、一八五〇年頃にはその傾向が顕著であった。この事態を受けて、リョコウバトの保護法案が可決されたりもした。それでも人間は、自分たちの食欲を押しとどめることができなかった。他の鳥の肉と比べても、その肉は格別に美味く、暮らしの中で人々の舌を悦ばせ、胃袋を満たした。銃は密やかに、けれども頻繁に磨かれ、満腹の分だけ黒光りした。

野生のリョコウバト繁殖群は、一八九六年四月に記録されたものが最後であった。この年、リョコウバトはすでに二五万羽を残すのみとなっていたが、ハンターたちはその群れを発見するや否や電報で連絡を取り合って乱獲を始めた。この結果、二〇万羽が殺され、四万羽が傷ついた。ヒナも殺されるか放置されるかという状態だったため、生き残ったリョコウバトは五〇〇〇羽前後と推定された。一九〇〇年三月二四日に少年によって撃ち落とされた一羽が、野生におけるリョコウバト最後の個体であった。撃ち落とされたリョコウバトは、その日の晩の食卓に上った。

それよりも少し前、とある動物園でリョコウバトの雛が一羽孵化していた。残り少なくなっていた野生の群れの一部を保護していたもののうち、二羽が繁殖に成功したのであった。人間の飼育下で生まれた初めての、そして最後の雛であった。リョコウバトはそのかつての個体数とは裏腹に、繁殖力の弱い鳥類であった。繁殖期は年に一度で、一回の産卵数は一個のみ。そのため、いったん大きく減った個体数を回復することは困難であった。保護された個体はまもなく全て死に絶え、名実ともにこの雛が、世界で唯一のリョコウバトとなった。

最後の一羽は、マーサと名付けられた。

          🐦

マーサは動物園の檻の中で三〇年を過ごした
餌に困らず適度な運動をし穏やかな毎日だった
飼育係は献身的にマーサの世話をした
それは職務上の責任からだけでなく
地上にわずか残された
リョコウバトへの愛惜によるものだった
いや、たとえそれが
最後の一羽でなかったとしても
彼の愛着は
何ら変わらないものだったかも知れない

とある小春日和
清掃のため檻の中に入った飼育係に
マーサは語りかけた

「そろそろおいとまでございます
 これまでのご奉仕に感謝いたします

 私の一生は平穏なものでした
 私は外の世界を知りません
 空の高さも風の冷たさも
 雄大な山脈も広大な海原も
 自分の羽で飛んだこと
 自分の眼で見たことがありません
 けれども
 私の体の奥に備わった
 〈遠いお手紙〉が
 それらひとつひとつを
 私に理解させました

 そしてあなた方人間たちが
 私たち一族に
 どんなことをしてきたか
 私は理解しています

 その舌なめずりと
 黒い塊
 今となっては
 どうにもならないことです
        
 私は私の一族の
 長い旅路を想います
 それを想うと
 気が遠くなるようです
 夜空の星とその数を競った
 私の祖先たちは
 今では何処へ消えたのでしょう
    
 あなたには
 つゆほどの恨みもありません
 毎日のあなたの呼びかけを
 あるいは口笛を
 聞くことが楽しみでした
 いつしかそれが
 生きる目的であったと
 言っても過言ではありません
    
 あなたは私を
 常にいるもののように
 愛してくれました
 過去にどうだった、とか
 未来にどうなるか、とか
 それらのことは
 取るに足らないほどに
 まぶしい
 まぶしい
 朝が繰り返されました
    
 私も〈遠いお手紙〉に
 そのことを記そうと思います
    
 けれども
 届けるあてはありません
 私の旅の終わりは
 一族の旅の終わりです

 リョコウバトの終着地が
 ヒトと語らう朝というのは
 悪くない締めくくりではないですか

 それではそろそろ
 おいとまをいたします」

そう言い終わると
マーサは音もなく
枝からこぼれ落ち                    る

地球は静かに
それを抱き留めた

          🐦

飼育係はその夜
食事を取らなかった
そういう気持ちに
なれなかったのだ
   
マーサの死を悼むように
ウイスキーを少しだけ舐め
床に着くことにする
  
ぽっかり
穴が
空いたようだった
   
マーサがリョコウバトの
最後の一羽だということを
四六時中気にしていた訳ではない

そのこととは別に
マーサの檻を清掃に行くことは
彼にとって何かを担保することだった

彼は考えていた
動物園での
仕事のことと
地球の上での
仕事のことを

歯を磨こうと洗面台の前に立つ
ラジオでは
リョコウバト絶滅のニュースが
頻繁に報道されている

 私も〈遠いお手紙〉に
 そのことを記そうと思います

飼育係は
歯を磨く手を
ふと止める

自分の
白く並びのよい歯

それは健全すぎて
尖りすぎている

上唇を持ち上げて
鏡に映してみたものは



どんな肉でも
噛みちぎるだろう

その健康と幸福のため
私らは歯磨き粉を絞り

朝な夕なに
一心不乱に磨いているのだ


自由詩 最後の一羽 Copyright やまうちあつし 2019-02-11 09:38:49縦
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