ある日のえんばー5
若乱

(つづき)
花火とは神様の、空のホコリ叩きなのだ。ぬるくなった秩序や人の営みを正しているのだ。しゃっきり、姿勢を正して生きなさいと。そしていつも少し叩きすぎる。空が、ほんの少しだけ割れて、死が人界にポツン、と一粒垂れるのだ。死は真っ暗な中人界に落ちて、明るさから逃れるように、暗がりにこっそり隠れている。そいつは腰ほどの大きさで、やせてて、猫背で、いきなり落ちてきた慣れない環境におびえるように暗がりにいる。しかし暗がりは愛にも多用されるのだ。だんだんと暗がりという暗がりが、愛(性交してる男女)に奪われ、居場所がなくなり、耐えきれなくなるように、通りの人がいる明るみに、転がるように死がはい出てしまったとき、その姿を見た禁忌によってぽっくり人が死んだりするのだ。
浮き立つ心が、皆を、そうさせることは狂気だ。愛であり、死だ。
僕のような、どこの馬の骨かもわからない旅行中の人間なんか格好の餌食である。
花火を時折振り返り、きれいだな、と思いながらも、ずいぶん風が涼しくなった中、疲労がぱんぱんに詰まったごぼうみたいな足を動かしながら、離れたほうがいい、と歩く、
ネットカフェとかで泊まろうかな、と途中見つけた所はシャワーがなく(まあシャワーしてもくせえんだけど)、続けて歩く。大きな大きな大通りでもうやたらまっすぐな道で開発中の感じ。川は区切りだ、と川を渡るたびに安心しながら、歩く。結局22、23時頃まで歩き続け、カラオケボックスで休憩。シャワー借りる(もそのシャワーラブホ臭かった)(自分はもっと臭かった)
道路が歩く人の場所であり、移動することで許されるように、カラオケボックスは歌うことで許されるような気がして、なんか無理してなぜか歌い続け、申し訳ないようにポテトと唐揚げ頼み、食べ、寝る。そういえばそこの店員は結構玄人っぽくて、偶然出身県が一緒だった。僕はオソロシイ臭気まき散らしてるのにも関わらず、にこやかに、こめかみに怒りマークつけながら対応してくれた。(5日おわり)
(つづく…?)


散文(批評随筆小説等) ある日のえんばー5 Copyright 若乱 2019-02-01 21:50:39
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