ある日のえんばー2
若乱

(つづき)
途中国道一号、幹線道路っぽくなって歩道がなくなると、脇道があったりする。
幾人かの自転車旅人とすれ違う。足限界になり、特に暑い時間帯、幹線道路の橋下の陰に座り休憩。結構順調に歩けた。藤川宿の道の駅で休憩。なんか、見守られてる感じで、頑張って、歩けた。店の中には臭すぎて入れないか、としばし裏手の駐輪場で休み、水分補給。徳川家康の像があった。
東海道だなぁ、東海道だなぁ、、と思いながら、揚げたこ焼き買う、14時頃。しばし休憩、歩き始めるも、かなり足ガタガタ。このあたりで、1号線の道のわきに1キロごとぐらいで日本橋までのキロ数が書いてることに気づいた。地元の人とのつながりも皆無な中で、僕に生きる道がない。誰かを慰めるために、ある日僕はぽっくり殺されるかもしれない、遊んでいるばかりではいられない。どこかは必ず誰かの場所で、誰かの役に立つことで、人は自分の居場所を得るんだ。それは時に免罪符のような使われ方になるのだとしても。確かな理由として殺されない理由が欲しいけど、何もない。そういえば、歩くことは、歩くことしかなかったから、苦しくても歩き続けた。この日を超えたあたりから、感覚として一日30キロくらいはノルマで歩ける目測が付いた。荷物、最初は重くて(テント3日分の服、水etc…)大変だったけど、そのうちそれが普通になった。姿勢を直したくて、意識して歩いて、割と続けることができた。(日本橋0キロまで歩けた)例えば仕事が「そんなふう」であるのなら、僕は歩き続けれるのだ、きっと。「そんなふう」とは限らないとは思うけど。
なぜ歩くことが許される行為なのかといえば、道路は移動する人のための場所だと決まっているから、移動している限り、僕は許され、息を吸えるのだ。僕は免罪符のように歩き続ける。すたすた歩く。足の裏という、わずかな居場所を許されながら。
限界来て、途中岡崎市市場町の津島神社のきれいな軒下で、横になって休憩。見上げると、屋根の裏の板が、ところどころ新しい板に貼り替わっていたりして、すごくちゃんと管理されている神社なんだなぁ、と思う。多分東海道巡りしている歩きや自転車の人の休憩所によくなっているのかも、とか思う、小一時間休憩。起きる、体操して出発、日、傾いてくる、歩く。
(つづく)


散文(批評随筆小説等) ある日のえんばー2 Copyright 若乱 2019-01-24 19:32:44
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