なんなんだろうな
ゆるこ


発泡酒のプルタブを引くと、パシュッ、っと小気味良い音がする。
慌てるように口に含むとそれは、命の流れのように食堂を通り、胃へと収納される。
濡れた髪をガス屋に貰った安く薄いタオルで拭く。
2年越しに着用しているタンクトップの胸元は緩く、パンツの色が褪せた日をわたしは知らない。
付けっ放しのテレビからは、何が面白いのか、話題を聞き逃した内容を、同じ笑みを浮かべた人々がしきりに繰り返し笑っている。

ピュー

やかんの沸騰した音。
わたしは発泡酒を左手にぶら下げ、今座っている場所から二歩の狭い台所へ行き、
風呂に入る前に開けたカップラーメンの中にやかんの湯を注ぎ込み、暫しそこへ立ち尽くした。

ふと、頭をよぎる言葉。

今日も、わたし、なにもなかった。

正確には起床し、電車に乗り、仕事へ行き、たわいもない会話を職場の方とし、一人で昼食を摂り、仕事をし、電車に乗り、帰宅し、今に至る。
しかし、わたしの中に残るものは一切ない。
吹き抜けの天井のようにまっさらだ。
身体に六年かけて染み付いた仕事は、わたしに今更なんの感動も与えない。
ただ、ただ、惰性で繰り返す、こころの動かない、ただそれだけの日々。
その日々の中でも、時々花火が上がったように、楽しかったり、悲しかったり、は、ある。
しかし、それは全て花火のように一瞬で消えてしまうのだ。

目を瞑る。
こころの中を歩く。
記憶を辿る。
テレビの音が遠くなる。
やかんで沸騰されたお湯の熱気、
手に持つひんやりとした発泡酒の温度がだんだんと消えてゆく。

視界の中。
真っ暗だ。
こころの中、なにも見えない。


子供の頃、わたしは空想がとても好きだった。
青空に浮かぶ城を描いたり、
歩く土をマグマにしたり、
街路樹に色付けをし、喋らせたり、
わたし自身を魔法使いにさせたこともある。
それは全てわたしのこころを激しく動かし、高揚させ、色づかせた。
その時こころのには確かにわたしが作ったものたちが、ひしめき、ささやき合い、時に笑い声を上げながら、「生活」していた。
例えるなら…いや、例えることなど出来ないほど、たくさんの色彩。
涙で滲んだ瞳が映すような不思議な世界。
わたしは時々その世界に降り立ち、挨拶をする。
わたしが作った不思議な挨拶。
小指を上げて、中指を立てて、結び合い、最後は頬擦り。
それを城も、マグマも、街路樹も、わたしの魔法使いも、笑顔でしてくれる。

わたしはあの時確かに幸せだった。

全ての物事はわたしの世界が面白おかしく変えてくれたのだ。
だからわたしは、痛みも、悲しみも、苦しみも、全て、忘れる事ができた。


「いつからだろう。」

ポロリと零れた自分の声でハッとした。

目の前には伸びきったカップラーメン。
左手には炭酸の音が聞こえない発泡酒。
そして、わたし。








自由詩 なんなんだろうな Copyright ゆるこ 2019-01-16 10:14:36縦
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