ラスト・ワルツ(路上のソワレ)
ホロウ・シカエルボク


街路で踊るバレリーナの黒髪は長過ぎて、12tトレーラーの後輪に巻き込まれてしまう、悲鳴を上げる間もなく、踊りに陶酔したままの虚ろな表情で、のけぞるように飲み込まれたプリマドンナ、クルミの殻が割れるような音と共に見えなくなっていく…少し遅れて、着地したあとのパラシュートのように彼女の血液がアスファルトに広がる、そんな路上の上でも確かに深紅だと知ることが出来る―血液の湖、束の間の夢の突然の終わりに、彼女はいったいどんな光景を見たのだろう?あっという間に彼女の周りには野次馬が集まる、それは彼女が踊っていたときのものよりもはっきりと多い…そして驚くほどに無遠慮だ、彼女の脳漿はトレーラーの影をなぞるように飛散し、その始まりのところに右の目玉が、終わるところに左の目玉が転がっていた、身体は真っ二つにちぎれて―下半身はもう原型をとどめていなかった、彼女を巻き込んだトレーラーは後輪が大きく流れ、車道の中央までスリップしたのだ…スマートフォンのシャッター音、動画の撮影を開始する音がそこら中で鳴り響いた、バレリーナはその音のたびに瞬きを繰り返した、もちろん、肉体的な意味での彼女ではない―適当な言葉を使えば霊魂とでもいうべきものだろうか?―そいつのことだ、彼女自身の、行き所を失くした心のようなものだ…それは生前の彼女のような自由さを取り戻すには至らなかった、彼女だった肉塊の、頭部も四肢も見当たらない上半身だけの抜殻の側で、仰向けに横たわっていた、最期に生体であった時点で彼女は、心と身体のバランスを大きく欠いていた、だからきっと、そんなことになってしまったのだろう―そして彼女には、そのことがまだ理解出来ていなかった、午後の太陽は車体の隙間から彼女のことを照らしていた、肉体の方は車体の下にあったので、シャッター音とともに無数のライトやフラッシュが中途半端にその輪郭を映しだそうとしていた、その、乾いた音は鳴りやまなかった、それは、彼女の生涯において、もっとも彼女が注目された瞬間であった、けれどそれは、けっして彼女自身の実力や容姿のせいではなかったし、もちろん彼女にもそのことはよくわかっていた、いや、ある意味では容姿のせいと言えなくもないけれども―でもそれは、彼女でなくてもかまわないものだった、そこに転がっているのが誰の肉体であったとて、それがセンセーショナルな出来事であることに変わりはないだろう―わたしはどうしてこんなところで衣装を着て踊っていたのかしら?彼女が最初に考えたのはそんなことだった、実は彼女は、ここ数ヶ月の間、ずっとそうやって街路で踊っていたのだった、そしてその数ヶ月の間、彼女の心と身体の間にはいくつものフィルターがかかり、彼女が彼女であることはもはや不可能な状態だった、ああ、なるほど、と、彼女は目だけで自分の横に転がっている自分であった肉塊を眺め、ひとつの事実を悟った、わたしは、負けたのだ、と―戦うことに、戦い続けることに負けたのだ、追い求めたものを手に入れることが出来なくて、いらだって、腹を立てて…悲しくなって見失ってしまったのだ、滑稽だわ、と彼女は思った、こんなことならなにも追いかけずにさっさとここに飛び込んでくればよかったのよ―彼女は自分であったものから目を離し、もう一度こちらに照りつける太陽を見上げた、自分の亡骸を撮影し続ける連中のことはまるで気にならなかった、だって、そういうものだもの、どこのどんな出来事にだって、そういう連中はついて回るものだもの…彼女はそういう連中のことについて、そこら辺の人間よりはずっと多くのことを知っていた、わたしが求めていたものはいったいなんだったのかしら―?こんな結果でなかったことだけは確かだわ、わたし―わたしは、踊ることが好きだった、踊っている間は、わたしはなにものでもない存在になることが出来た、頭の中が真っ白になって―身体は蝶のように思うままに動いた、そうだわ―今思えば、あのひとときがあるだけで良かったのだ、他にどんなことも考える必要などなかったはずだった、けれど、踊り続けているうちに、いろいろな人がわたしの周りに集まってきて、取り囲んで、いろいろなことを言うようになった、そうしてそのほとんどの人が、わたしが踊ることで賞や注目を得ることを強く望んだ、わたしがそれを手に入れることが出来ないでいると、みんなでわたしが踊る映像を見て、あそこはもっとこうしたほうが良かったとか、あそこはこうするべきだったとか、あんなことはする必要がないだとか、いろいろなことを言った、そしてそれは、人によって必ず違った、わたしはなにが良くて何がいけないのかまったくわからなくなった、そして彼らは必ずこう言った、ここを乗り越えることであなたは新しいステージに立てるのよ、と―わたしもいつしかそこへ行きたいと思うようになった、確かにそれを見てみたいという気持ちになって―彼らの望み通りの踊りを踊ることに躍起になって…どうして自分が踊っていたのかということについてはすっかり忘れてしまっていた―わたしはわたしのままで踊り続けるべきだったのだわ…そうすればきっと、わたしだけのステージへたどり着くことが―ううん、ステージなんかどこだって良かったの、だって、わたしは初めからそれを手にしていたのだもの…



自由詩 ラスト・ワルツ(路上のソワレ) Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-11-18 22:14:16縦
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