ロストの先端
ホロウ・シカエルボク



色褪せたクリーム色の壁、不自然なほどにしんとした空気―わたしはたまにこの景色を病室のようだと感じることがある、でもここは病室ではなくて―まあ、そのことはあとで話すことにする…道に面した壁はすべてガラス張りになっていて、左端にかつて入口だった片開きのドアがある。そのドアはもう二度と開かれることはない。そしてそのガラスのすべては防災シートで内側と外側の両方から隠されている。どうしてそういうふうにしたのかいまとなってはわかるすべもない。その隙間から入り込んでくる月の光は鮮やかなレモン色で、どうやら今日は穏やかな夜のようだ。眠りについたときは真夜中だったのに、いまは夜が始まったばかりのような感じだ。丸一日眠り込んでいたらしい。そういうことはよくある。物凄く寝てばかりいたり、と思うと何日も一睡もしなかったり…時計という概念とは別の時間を生きるようになったわたしは、驚くほど自由な感覚で日々を過ごすようになった。その時自分にとって一番必要なものを、自然に選択して実行することが出来た。身体が求めるだけ眠ればいい、身体が求めるだけ起きていればいい。それが自分の身体にとっていちばんいいことだ。それは凄くシンプルなことなのだ。でも、この暮らしに至るまでのわたしはそんなことすら自由に選ぶことは出来なかった。そのことを思うといまでも時々唖然とする―スマートホンをやめて良かったな、とわたしは思う。あれは鎖だ。時間や、友情や―うわべだけの愛という名の…寝床から立ち上がり、シートの隙間から窓の外を眺める。水平線のはるか上に陰鬱な絵画のように月が佇んでいる。波は優し気で、わたしは砂浜で月光浴と洒落込みたい気持ちになる。でもこの二日ほとんど食事をしていないので、今日はなにかきちんとしたものを食べる必要がある。外出用の服に着替え、開いたままのレジスターの中から裏口の鍵を出す。外に出て、鍵をかける。一度ノブを引いて確かにかかっているかどうか、確かめる。ここは閉店したコンビニエンスストアだ。中のものはすべて引き払われて、私の寝床と机だけがある。店にあった戸棚を洋服置場にしている―勘違いして欲しくない。わたしは不当にここに住んでいるのではない。これはわたしの両親がかつて経営していた店で、いまはわたしのものになっている。フランチャイズのではない、個人で細々とやっていた店舗だ。老朽化を理由に旧道が閉鎖され、すこし上に通ったバイパスが利用されるようになったため、店を開ける意味がなくなって閉められた。コンビニを閉めてからは、両親は趣味でやっていた野菜作りを商売として本格的に始め、コンビニをしていたころよりもいい収入を得るようになった。どこか土地を買って畑を広げようかという話をしていたころ、大地震によるバイパスの崩落に車ごと巻き込まれてふたりとも死んだ。葬式では棺の蓋が開けられることはなかった。わたしはそれまで三人で住んでいた家にひとりで住んでいるという不自然さに耐え切れず、家のなかのものをすべて処分して人に貸すことにした。そばにある畑も込でそこそこの額で借りてもらうことが出来た。その時点でこのコンビニに住むことは自分の中で決まっていた。なにもないところで、なにもしないで暮らしたい。わたしはいつのまにかそんな風に考えるようになっていた。そんな、人気のない場所に住んで大丈夫なのかって?ところが、全然大丈夫なのだ。旧道の片側は土砂崩れによって海に落ちている。海からは崖というほどの高さではないが余程の装備がない限り上がってこれないくらいの高低差はある。反対側はフェンスによって完全に遮断されていて、路面の状態が命にかかわると言っても過言ではないため、昼間は警備員が常駐している。夜は監視カメラによってリアルタイムで見張られている。だから、誰もわたしが居るところにはやって来れない。わたしはここの住人としてきちんと申請をし、許可を取って暮らしている。もっとも、警備員が居るところから出入りすることはまずない。そこからここは少し距離があるのだ。コンビニの裏手にはバイパスへと上がれる私道があって、そこを利用している。その私道の入口にももちろん監視カメラは仕掛けられている。法的にも物理的にも、わたしは守られている。わたしのなりはまったく浮浪者のようだが、その実はきちんとした市民だというわけだ。さて―わたしはその私道を抜け、小さな田舎の街の方へと歩く。二四時間営業のファミリーレストランでちょっと豪華なものを食べる。ウェイトレスはフィリピンかどこかから来た若い娘で、高校を出たばかりくらいだろうか―ともかくわたしとあまり歳が違わない。わたしのようなものを見慣れているのか、わたしを初めて見たときもたいして反応はしなかった。お金をきちんを払えるかどうかは心配していただろうけど。個人的な話をしたことはないけど、お互いに嫌いじゃないことは確かだった。生活がシンプルになるとほとんどお金が減らなくなる。あまりちゃんと見ていないけれどわたしの口座にはもうびっくりするくらいの額が溜まっている。わたしは時々昼日中の繁華街を歩いてみる。そうしてわたしを見る人たちを観察する。あの視線―そうして、わたしも以前はあっち側に居たのだと思う。あんな目をして誰かのことを見ていたのだと。人間は所詮目に見えるものだけを価値と思ういきものだ。そんなものたちの社会に属することがどれだけ誇らしいことだろう?もうわたしにはそんなことはなんの意味もなくなった。これからわたしにどんなことが起こるのかは誰にもわからない。もしかしたらいつかあのコンビニを出て普通に暮らすこともあるかもしれない。でもわたしは忘れないだろう。この暮らしの中で自分が見てきたもののことを。誰にも知られない海は笑いかけてこない、そんなことを。わたしは家に帰る。鍵を開け、中に入り、鍵を閉める。どこにも属していないわたしが住むところ。歯を磨いて、顔を洗い、寝床に入る。月は健忘症の人間の意識のように薄れている。わたしは夢を見なくなった。だって夢のなかで生きているようなものだもの。




自由詩 ロストの先端 Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-11-12 00:03:40
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