象の話
腰国改修

明らかに動物の声だ。人間の声帯から発せられたものではない。あるいは、人間が声帯模写の技術で動物の鳴き声や吠え声を真似たものでもない。たまにテレビで見かける話す犬だとかが、たどたどしく鳴いているのが、何となくおはように聞こえるというあれに近いものだった。

深い、涸れ井戸のような穴の底からおおい、おおいとどことなく切ない感じの人間の声に似た動物の鳴き声か吠え声のようなものが聞こえて来た。ニューギニアのジャングル深くにある大自然の神秘のような穴からまさか日本語でおおい、おおいと呼び掛けられるとは思わなかった。

文明を離れて、あなたはジャングルで生き残れるかという古臭い宣伝文句に誘われて参加したジャングルツアーの最終日だった。ガイドの現地人がその穴の言い伝えについて話していた。昔、日本兵が象に乗ってこの穴に落ちて死んだ。象は生き残り、それからというもの飼い主であった主人に教えられた日本語を鳴き真似ているのだと。日本兵は占い師にやがてあなたは穴に落ちて生涯を終えると言われ、穴に落ちて自分が気絶しても助けを呼ぶことが出来るように象におおい、おおい助けてくれという言葉を教え込んだが、教え方が悪かったのか、覚えが悪かったのか、おおい、おおいが精一杯だった。そうこうしているうちに運命は回転して転落に至ったのだという。

悲しいような、不思議なような、まるで嘘っぱちのようだと思っていると、突然気分が悪くなった。ガイドにその旨を話すとそこの岩に腰掛けて休みなさいと言われた。そうさせてもらおうと岩に腰掛けたら、岩ごと一緒に穴の中に落ちてしまった。恐怖を感じるまもなく穴の底に激突して気を失った。

気がつくと湿っぽい真っ暗な空間にいた。汗をぬぐおうと手を額にやったつもりが、それは手ではなくて鼻だった。しまった!という気分だったが、意に反して出た言葉は「おおい、おおい」だった。仕方がないので、次のツアー客が落ちてくるのを待とうと思ったら、背後に人影ならぬ象影が…。振り向くとくらやみの中、百頭近い象が蠢き、一斉におおい、おおいと鳴き始めていた。仕方がなく一緒になっておおい、おおいと叫ぶよりはなかった。



散文(批評随筆小説等) 象の話 Copyright 腰国改修 2018-11-09 20:39:10
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