節子という一人の女に
こたきひろし

私はまさに根のない草だった。
飲食店の厨房の仕事を転々と渡って歩いた。

三十歳に手が届く頃は出身県の県庁所在地の街で働いていた。
そこはパブレストランで駅ビル周辺の繁華街にあった。朝七時からはモーニングタイムで十一時まで営業し、そこからはお食事タイムに、そして夕方六時からは洋風の居酒屋になった。照明をおとしてぐっとおもむきをかえていた。
連日客の入りはよかった。そこから県庁は近いし、駅ビルから流れてくる客も入ってきた。
平日もさながら土日は繁忙を極めた。

そんな土曜日のある日に節子が店をたずねてきた。来ることは電話で連絡があったのであらかじめに店長に頼んでいた。私をたずねてくる人があるから来たら休憩に入らせてくださいと。
店長はけして快諾してくれはしなかったが、駄目とは言わなかった。

節子は婚約者と言う男性と一緒に店にきた。
見るからに真面目で誠実で実直そうな人だった。人柄も優しそうだった。
その分男の毒性は感じられなかった。
その風貌に若さは失われ頭髪は薄くなっていた。
職業は銀行員と聞いていた。郵便局職員の節子が選んだ人に相応しいと私は思った。

私が二十歳になった月に節子は川崎から私のもとへお祝いに来てくれた。
当時、私はまだ東京にいた。
その日私は休日だった。その日は一日節子と二人で都内を歩いてまわった。
私は記憶を掘り起こしていた。

節子が私にしてくれた事。
彼女が高校生最後の春の日に中学三年の私に作ってくれた焼き飯。
お互い働き出してから、彼女が私の口座に振り込んでくれたお金。
私が自動車免許を取るために。
私が歯を治療する為に。
節子が私の為にひそかに積んでいてくれた郵便局の保険。

瞬く間に時は過ぎてしまい。
節子は五十代半ばで肺癌末期になっていた。
その人生の悲劇。
義兄は早期に銀行を退職し節子とその余生に付き添った。
節子の伴侶選びは間違っていなかった。

そしてその葬儀は家族葬。
私は身内として弟として節子の焼かれた灰のなかから骨を拾った。
そして心のなかで一首を詠んだ。

 長いこと会わずにいたら君の死が会えない事の続きに思えて

私はそれを何ら躊躇いもなく新聞の歌壇に投稿した。
単純に歌詠みとして。
それは入選し紙面に載った。


自由詩 節子という一人の女に Copyright こたきひろし 2018-11-05 07:07:12
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