狂った文字盤の針にもグルーブは隠れている
ホロウ・シカエルボク



細胞の中で狂気は水棲生物の卵のように増殖を続けて、そのせいでこめかみの内側は微妙な痛みを覚え続けている、尖った爪の先が終始引っかかっているみたいな痛み―軽い痛みだけれど忌々しい、そんな―俺はいつでもなにかしらの形でそいつを白日の下に晒す試みをしている、それは処理されなければならない、けれどそれは直観的なものでなければならない、加工された狂気はもう狂気と呼ぶに相応しいものではない…だから俺は吐き出し方だけを模索する、そのバリエーションだけを覚える、身体をオープンにして、余計な力を抜いて―我知らず構築されたエゴは本質を駄目にしてしまう、それは便宜的な意味合いでだけ詩と呼ばれているもので、本当は名前など必要としていないものだ、名など持つ必要があるだろうか?本当は名前などなくても自分のことを語ることは出来る、俺は初めから吐き出し方だけを覚えるべきだということを知っていた、最初の一行を書き出した瞬間からそいつは決まっていた、向かう場所は明確だった―俺を狂わせているものと共に、細胞に寄生虫のように棲みついた狂気と共に―そいつの息吹を吐き出す、そいつの蠢きを吐き出す、そいつが蠢くたびに落としていくおぞましいものたち―直観でもってそれらを処理していく、ある意味で俺は狂ってはいない、けれど皮膚の下で狂気は増殖している、狂気的ではあるが、狂気ではない、その意味がわかるだろうか―?俺は嘘つきのきちがいってことさ…それはやっぱり時々は俺の精神にとんでもない軋みを起こしたりもするけれど、俺はずっとそいつを飼いならしてきたんだ、もちろん、こうして書きつけることによってだ…そいつは、吐き出されることを好む、そいつは、ぶちまけられることを好む、吐き出され、ぶちまけられて、些細な思い出のようにそのまま忘れられていくことを好む―あいつはもしかしたら、俺の身体の中に潜んでいるなにかが気に入らないのかもしれない、生まれてきたものの、どうしてもそいつをよしとすることが出来ないのかもしれない、あるいはもしかしたら、初めから捨てられることを目的に生まれてくるのかもしれない―彼らを彼らのまま書きつけることだ、俺がやろうとしていることはいつだってそういうことなのさ、言葉を羅列することで、ひとつの絵を描こうとしているようなものだ、名前は必要ない、書きつけられたものたちがそういうことは勝手に語ってくれる…それは回を重ねるごとに厄介なプロセスを要求してくる、厄介な速度、厄介な熱量、厄介な階層、厄介な結末―あいつがその奥底でどんなことを望んでいるのか俺は知らない、ただあいつが望んでいることのいくつかは、俺によって叶えられる、そのことを知っている、だから長いことあいつとのつきあいは続いている―おそらくは俺がペンを持つことが出来なくなるまでそのつきあいは続くだろう―ある時、俺がそんなふうに書き続けている最中に、あいつが執拗に話しかけてきたことが一度だけあった、どうしてそんなことを続けているんだ、どうして書いているんだ、面倒臭くはないのか、やめたいと思うことはないか―そいつは矢継ぎ早にそんなことを尋ねてきた、俺は指先のリズムを殺したくなくて、そのどれにも返答することなく先を書き続けた、やがてそいつも喋ることをやめて、俺が描いているそいつの肖像画をじっと眺めていた、もしかしたらあいつも、自分がどんな理由でなにを求めているのかなんて知らないでいるのかもしれない、俺もあいつも、産まれてきたことに踊らされ、理由のない衝動に溺れ、欲望の粘つく海の中で喘いでいるのかもしれない、だからこそそれは、いくつもの段階を経て変換される必要があるのかもしれない、俺たちが見ているものは夢だろうか、感じていることのすべては幻に過ぎないのだろうか?明日のかたちが見えない夜は滴り落ちるみたいに過ぎる、理由はどうあれ俺たちはもとより、手に触れるもののいくつかを抱え上げてそいつがどんなものなのか探りながら生きていくことしか出来ない、もう始まりのことなど知らない、終わりのことだって気にする必要などない、走者が走るのはもしかしたらゴールがあるからじゃないのかもしれない、それを知らなければ到達することが出来ない場所が必ずある、思考の先へ行け、思考を捨ててしまえ、そうすればどんなことも説明する必要などなくなる、雨に濡れるようにただの現象として、動作として―流れていくただの言葉で、最後の言葉なんて探そうともしない、それは次に書いたことが勝手に見つけて来てくれるだろう…。




自由詩 狂った文字盤の針にもグルーブは隠れている Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-11-04 22:51:54縦
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