陽向臭い匂いと雨の匂い
こたきひろし

私は
私の人生の途中で二度
自らその命を絶ってしまった人の葬儀に参列した事があった。

一人目は同じ工場内で働いていた五十代の男性。
とは言っても勤める会社は違っていたからほとんど口を利いた事はなかった。
彼はフォークマンだった。工場内でフォークリフトを運転して製品をトラックに積み込む作業に従事していた。
詳細は語れない。私達は大きな企業から物流部門の作業を委託された運送会社の社員だった。
それは大企業に寄生している虫と言うべきだった。
極めて弱い立場の働き蟻だった。
しかし蟻の存在なくして巨大企業は成り立たない。

ある日
蟻が一匹、重大なミスを犯した。
フォークリフトの運転を謝り、大怪我をしてしまった。
どこの工場でも「安全第一。ゼロ災害」を看板にかかげている。
工場内での事故は重大な問題だった。
企業の正規雇用者ならいざ知らず、下請けの作業員である。彼は一ヶ余りの入院退院後に工場長の元に謝罪に出向いたが、その後の工場内での作業を拒否された。
勤め先の会社からは辞職を言い渡された。あくまで自己都合退職と言う名目で。
その当日。彼はアジア系外国人の妻と、間に産まれたまだ幼い男の子供を一人残して首を吊った。


私はその訃報に、何でだよと言う思いしか感じなかった。
同じ寄生して働く虫として怒りに近いものを感じてしまった。
仕事をクビにされたら次を探せばいいだろうが、と思った。
思いながら、簡単に再就職出来ない現実をよくよくわかっていた。
しかし
無責任と我が儘にも程があるだろう。嫁と幼い子供はどうするんだよ。と思った。
勝手に生きる事を放棄するなんて。それで済ませるつもりかよ。
何も解決しないじゃないか。

怒りを感じた。

同時に私は思い出してしまった。
あの日の事をあの病院の部屋を。
私の父親が臨終の間際に、兄貴が親に向かって吐いた言葉を。
ボケちまったお袋もいっしょに連れてけよ。あんたがさんざんな目に会わせたから、手に負えなくなっちまったのに違いないんだからよ。最後ぐらいは何とかしろよ。あっちに連れてけよ。
すると瀬死に横たわる父親はかすかに口を動かした。
悪いな、後もお前に任せるよ。
と、言ったのだ。

その時、側で聞いていた私は
父親への
長いながいそれこそながかった。
近親憎悪の感情が一度に解けだして来るのをおさえられなかった
それはきっと
切ろうとしてもそれが叶わない
血の繋がりがそうさせたのに違いなかったんだろう。

そこには
自分自身への憐れみの感情も加味されていたかもしれない。


憎んで憎んで憎みきった。
父親の最期を拍手喝采で見物に来たはずなのに
思っても見なかった方向に感情の舟が押し流されたのだ。
いつの間にか私の目に
涙が溢れだし流れ出てきて止まらなくなったのだ。

悪人ほど世にはばかり長生きするもんだ。
悪事は肝がすわってなければ出来ないだろうから。

仕事をクビになったからって自殺してしまう善人なんて
洒落にもならねぇや。
線香あげなから思ったよ。
やってる事は私の父親よりも始末が悪いって。

そして
二人目の事も書こうと思ったが

もういいだろう出来ねえよ。
さすがに無理だ。
読みたくねぇだろう。
読ませたくも
ないし。

それにしても
陽向臭い匂いと雨の匂い
この話に全然繋がらない
題名に何でしたんだろう。





自由詩 陽向臭い匂いと雨の匂い Copyright こたきひろし 2018-10-28 06:46:32
notebook Home 戻る  過去 未来