恋愛詩と病或いは不具
腰国改修

恋愛詩を好まない。

なぜだろう。

もともと、スターオタク拝見や、スター結婚報道があまり好きではない。さらに言えば隣の晩ごはんや、○○!お宅訪問なんかも好きじゃない。つまり、他人の生活や生活めいたものや予感のようなものを見るのが生理的に受け付けないのだ。

その伝で行くと赤ちゃんを見せられても可愛と思うのと同時に、それを見せてくれる笑う二人の日常が見えてしまう。なべやかん、電話の下に敷いてるレース(たとえが古い!)、網掛けの赤ちゃん用の靴下やその他諸々。他人の生活に興味がないというのではなく、そのようなものになぜか圧迫感を感じるのだ。

圧迫感の源は?と、考える。それは他人そのもの、他人の持っている我欲や自己主張や湿り気のある心理、心情が、苦手なのだ。

それが、理由か?で、あるなら、ほとんどの恋愛詩は読めないし書けないのでは?

とすれば、私は一種の不具だ。おまけに、自分では時々、恋愛詩まがいのものを書いてはアップするテロ行為に手を染める。矛盾と独善の悪いクセが時々顔を出す。

ともあれ、他人の日常が見え見えの詩、特に恋愛詩を好まないのはこういう癖に依る。

単に幸せな二人に嫉妬したり、悲しい誰かに自分よりましだろうと自己中心的に考えた結果かもしれない。或いはオプティミスト独特の感覚で、恋愛する二人に乾杯!よりは、二人に心配!というひねくれた言葉をかけそうになる体たらく。

まさに病気だが、今のところ治す気持ちはない。というわけで恋愛詩は嫌いだ。


散文(批評随筆小説等) 恋愛詩と病或いは不具 Copyright 腰国改修 2018-10-28 05:15:20
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